ローマ法王レオ14世──その世界にとっての意味──(3)ロバート・プレヴォスト
福岡大学名誉教授 大嶋仁氏
何度もいうように、大半の日本人はレオ14世のことをまったく知らないので、簡単に紹介しておくことにする。本名はロバート・プレヴォスト。アメリカはシカゴの生まれである。父親はフランスからの移民の子孫、母親は中米からの移民の子孫。敬虔なカトリック教徒の家で育った彼は、少年時代から「神父になる」ことを志していたという。
彼にはルイジアナ州のクレオール(黒人あるいはインディアンとの混血)の血が混ざっており、彼の宗教的志向は、アメリカ社会のなかの「マイナー」であるがゆえに育まれたと見ることもできる。子どものころから、「社会的弱者」は身近な存在だったのである。彼は社会正義を教条として掲げる人ではない。幼少期からの生活体験から、イエスの教えに深く共鳴しているのだ。
たしかに彼のような出自であれば、アメリカ社会の上層部に入れるわけがない。初めから「アウト」なのである。アメリカは経済力がなければ「よい大学」にも行けず、「よい就職」もできない。実力社会と言われてはいるが、それは一定水準以上の人間にいえることであって、その水準以下の人間は一生浮かばれない。黒人のスラム街がなぜ犯罪の巣窟なのか。「黒人が凶暴だから」などというのは、「白人社会」でのみ通用する風評に過ぎない。
2025年にローマ法王に選ばれたロバート・プレヴォストは、人種問題で頭を悩ますことはなかったし、「アメリカ社会の上層部」に組み込まれたいという願望もなかった。そのかわり、彼は多くのアメリカ人とはまったく異なる理想を求めた。神父になること、神の教えを深く知り、これを人々に広め、不幸な人の魂を癒すこと、これだけが目標だったのである。
先にも述べたように、彼が「アメリカ社会の上層部を占める白人」でなかったことは大きい。彼のマイナー性は、彼を「弱者のためのキリスト教」へと推し進め、その結果が彼の宣教生活を生んでいる。南米ペルーの貧困地域に赴き、そこで長い年月を「貧しい人々」とともに過ごす。そしてその功績が認められローマに召され、最終的にカトリック教会の頂点に立つことになったのである。
つまり、法王レオ14世は「弱者のための宣教師」としてペルーの貧困地帯で培った信仰の人なのである。
彼の人生を縮約すれば、アメリカの「白人社会」の片隅でカトリック教の教義を身に着けた後、ペルーに赴いてそこで初めて「世界史の裏面の悲惨」を知り、それを知ったことで、「真の信仰」と「救済の思想」に目覚めたということになる。宣教師は行く先々の人を信仰によって救おうとする存在であるにちがいないが、それによって救われるのは自分自身でもあるのだ。
ロバート・プレヴォストは「世界史の裏面の悲惨をペルーで知った」と書いたが、アメリカのような国が富んでいけばいくほど、そのしわ寄せは貧困な国々にゆき、その国のなかでも富裕層は貧乏人を虐げることで自らの生活を向上させていく。これが人類の歴史であるなら、まさに南米の貧困地域はそういう歴史の裏面であり、北米の栄華の裏面なのだ。
この真実を目撃し、それを現地の人たちと共有したプレヴォストは、チェ・ゲバラのような革命運動の指導者になれたかもしれない。だが彼は、「政治の力」よりも「信仰の力」を信じる人なのである。社会の不平等は是正されねばならない。だが、そのために必要なのは「霊性」に目覚めることだと思ったのである。そしてその霊性の目覚めには、イエスに倣って「愛」を実践することが必要だと思ったのである。
そのような彼であればこそ、ローマ法王に選ばれて公の前で最初の挨拶をしたときに、本来ならローマ教会の長としてイタリア語で観衆に挨拶を述べるべきであったのに、イタリア語の挨拶は二言三言で終えて、いきなりスペイン語で、自分がかつて一緒に暮らしたペルーのチクライヨにいる信者たちに感謝と激励の言葉を送ったのである。多くの観衆にはまったく予期せぬ挨拶の仕方であり、おそらく世界中のカトリック教徒はこれに驚いたにちがいない。そこには無類の率直さだけでなく、ある種のアイデンティティーの告白があり、「自分は常に弱者のための法王でありたい」という意思表明があったのである。
さて、先にも述べたように、このアメリカ人法王はアメリカ合衆国におけるマイナーな存在である。そして、その対極にいるのが大統領ドナルド・トランプなのである。トランプは華の都ニューヨーク出身の「白人」であって、初めからアメリカ社会の上層部にいる。父親を引き継いで不動産業界に入り、そこで次々に新たなアイデアを生み出して大成功を収め、大富豪となったのだ。そのようなトランプとレオ14世となったプレヴォストのあいだに、接点はまったくない。
トランプの性格は磊落にして無頓着といってよい。「自己反省」するくらいなら「自己崇拝」するタイプで、失敗を「失敗」とも思わず前進するのである。むろん世間体など気にせず、弱者の立場など眼中にない。イスラエルがガザ地区を占領した際には、この地区を「中東のリゾート地」にしたらどうかと言ってみるなど、およそ倫理的感性のない人間である。
こういう人物が大統領に選ばれるところに、アメリカという国の不可思議さがあるともいえる。「財力」がすべてなのか、「遠慮のなさ」が恥とならない文化なのか、ともかくトランプはその権化である。そしてそのアメリカが、現ローマ法王レオ14世のような目立たぬ巨人、謙虚にして信仰深い人物をも生み出している。これがアメリカの奥深さなのか。多人種が「1つの国」に集約されることから生まれるエネルギーの賜物なのか。いずれにせよ、現代世界はそういう国に左右されている。
(つづく)









