『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏
時の政権が内閣改造をすると、必ずといっていいほど、週刊誌が新閣僚のスキャンダルを報じ、新聞、テレビが後追いするということが「決まり事」になった。なぜ、質はともかく量だけは週刊誌をはるかに凌駕する記者を抱えながら、マスメディアは週刊誌に勝てないのだろう。古くて新しい問題を考えてみた。
閣僚更迭劇で露呈した大新聞の後追い体質
高市政権の第二次内閣改造で、新閣僚になった簗(やな)和生農水相は、自民党支部の総会で、「自民党支持しなければ予算を大幅カット」という暴言を吐いていたと、新潮と文春の両誌から砲弾を浴び、敢えなく「更迭」されてしまった。
簗農相の政治家とも思えない言動は、閣僚としてだけではなく、政治家、人間としても“下劣”としかいいようがない。
こんな人間を、高市首相は庇い続けた。「ヤナちゃん」「私の知恵袋」などと親しさを吹聴していた手前、すぐに首を切ると、ヤナちゃんが開き直り、「私と心中してもらおう」といい出されるのを恐れたのだろうか。
さまざまな詭弁を弄しながら、高市首相は「簗更迭」決断を延ばしに延ばしたが、文春が、簗は選挙中に有権者たちをシャトルバスで送迎していたと報じ、観念したようだ。
簗も簗なら高市も高市である。こんな身内だけに甘い政権に、簗事件の後、新聞各紙は世論調査をしたが、いまだに50%前後の支持率があるというのだから、私には信じがたい。
朝日新聞は10月21日付社説で、こう批判した。
《最近も簗氏の問題で政権の危機管理を問われ、「24時間、公用スマホをそばに置いて、最大音量にして夜も横になっている」と答えた。災害対応、しかも組織的対応でなく個人の心掛けに論点をすり替えている。
台湾有事をめぐる国会答弁では、1年近くたつ今も改善の見通しが立たない日中関係の悪化を招いた。国の指導者の発言には、さまざまな影響を見据えた深慮が不可欠だ。》
だが、簗更迭問題で、新聞・テレビが絶対書かない、いわないのは、「なぜ、簗のスキャンダルをはじめ、これまでも、新閣僚の醜聞をスクープできないのか」というマスコミ側の問題である。
政治家と記者の「近すぎる関係」
昔も、確かに、こうしたスキャンダルは週刊誌が抜くことが多かった。しかし、そのいくつかは政治部記者からの「リーク」だった。
「同じ政治部仲間が嫌がるし、記者クラブから追い出されることになるから、オレのとこでは書けない。だけど、あの政治家のやり方は我慢できないから、お前のところで書かないか」
義憤にかられてというと聞こえがいいが、今もそうだと思うが、有力政治家の番記者になると、その議員が外遊に行くと、そのころは貴重だった「エルメスのネクタイ」や「モンブランのボールペン」などを土産にもらう。
件の政治家と「懇談」するのは赤坂や神楽坂の料亭。ズブズブの関係にならないとネタなんか取れないと、みんなが読売新聞のナベツネ(渡辺恒雄)になりたがったのである。
私は、氏家齊一郎日本テレビ社長&会長と親しかった。氏家は渡辺と兄弟のようだった。
政治家たちとの表の付き合いはナベツネ、裏の付き合いは氏家と、分担を分けていた。
首相が変わる時などは、料亭などに2人で集まり、次の首相は誰がいいのか、誰が本命かなどと「作戦会議」をしているのを、部屋の隅で見せてもらったこともあった。
竹下登が「消費税」「ほめ殺し」「リクルート株」などで失脚した年だから、1989年だったと思う。
中曽根、竹下と続いてきて、次は宮澤喜一かと思われていたが、氏家は、今の自民党には逆風が吹いているから、ここは軽めの内閣をつくるべきだと、私に語っていた。
ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら自民党の有力者は軒並みリクルート事件に関与していた。
河本敏夫は三光汽船経営危機問題から敬遠され、さらに伊東正義や田村元、坂田道太、後藤田正晴からも断られて総裁選びは難航した。
その後、どういう経緯だったか忘れたが、身辺がきれいだなどという理由で、宇野宗佑が選ばれた。
「神輿は軽いほうが良い」の典型であった。だが、神楽坂の芸者に「三本指で妾になれといわれた。こんな人間が首相だなんて」と、サンデー毎日で告白され、あっという間に失脚してしまった。
その後、海部俊樹や宮澤喜一などがなるが、どれもこれも短命内閣で、ついに自民党は野に下り、その後、村山富市社会党委員長を首相に据える異常事態になった。
それはさておき、昔も今も、記者は取材対象者とどれだけ親しくなれるか、どれだけベタベタした関係になれるかが“デキる記者”への道なのである。
だが、私が付き合っていた新聞記者たちは、心密かに「記者魂」のようなものはもっていた。
どんなに親しくなっても、記者としての「矜持」だけはもっていたい。そこで、我々週刊誌屋が役に立ったのである。
先のナベツネが、文藝春秋の名物コラム、『赤坂太郎』や、政治記者匿名座談会の常連執筆者の1人であったことは、知られている。
私も、ナベツネがアメリカから帰ってきたころ、親しくなり、家にも呼んでもらったことがあり、政治ネタをもらったことがあった。
いわば、週刊誌はうっ憤の溜まった政治記者たちの「憂さ」の捨て所だったのだ。
「権力の番犬」から「権力のポチ」へ
翻って今はどうか。政治家に小物が多くなったこともあって、政治記者にとってピッタリ寄り添うメリットがない。派閥も今は麻生派だけ。政治家が永田村の情報に疎いから情報が入ってこない。
ないない尽くしである。その上、何とかしてスキャンダルをつかんできても、権力者に取り入って出世したいと考えている上司から、「うちではできない」と却下されてしまう。
それでは昔のように、週刊誌に売ることは? 今のようにSNSが発達した時代では、どこから情報が洩れるかしれない。それが知られたら降格か左遷だ。
新聞社を辞めてネット・メディアに行くこともできるが、新聞社の給料を保証するところはほとんどない。
かくして、今の記者たちは「権力の番犬」ではなく、「権力のポチ」に成り下がっているのだ。
週刊誌にスキャンダル情報が集まる理由
それに比べて、政治家たちのスキャンダルを追いかけ、「親しき仲にもスキャンダル」をモットーとしている週刊文春には、不倫情報だけではなく、政治家の醜聞情報も、手に余るほど寄せられる。
なぜか? 情報提供者は、自分の持ち込んだネタが誌面になることを望んでいるからだ。
昔、岡留安則がやっていた『噂の真相』という雑誌があった。誌面全部がスキャンダルで埋め尽くされているような雑誌だった。その情報のほとんどが、読者からのタレコミであった。
なぜ、ミニコミに近かった『噂真』にタレコミが殺到したのか。岡留は、その情報のほとんどを見開きの左右に、「1行情報」として載せたのである。「情報は必ず載る」という読者との信頼関係を築き、スキャンダル雑誌として一時は、文藝春秋の次という大部数になった。
『噂真』なき後、その精神を引き継いだのは文春だった。『噂真』のように1行情報は載せなかったが、寄せられた情報は編集会議にかけられ、物になりそうかどうか判断され、「いける!」となれば、昔“首輪のない猟犬”といわれた記者たちが取材に動き、綿密な裏取りをする。
ここは推測だが、内閣改造で新閣僚が決まれば、ネット版の文春には、新閣僚たちのスキャンダルが殺到するのだろう。
文春の関係者に聞いたが、途中入社を募集すると、大手新聞社の現役の記者たちが、驚くほど多く応募してくるそうだ。
その理由は、「今の新聞社では、自分のやりたいことができないから」というものだという。時代は変わった。
独自ネタを失った新聞の後追い報道
今回の簗スキャンダルは、文春も新潮も、これほどの大事になるとは考えていなかったようだ。それが証拠に、文春はネット版でしか扱わなかったし、新潮(10月8日号)も短い扱いだった。
だが、新聞はなりふり構わず飛びついた。矜持もかなぐり捨てて、あたかも自社ネタのように連日、書き立てた。
なかでも朝日新聞のはしゃぎ方は凄かった。社説(デジタルから)では連日、
「新たな疑惑も持ち上がった農水相 首相は更迭を判断すべき時」(10月13日)
「追い込まれての農水相『更迭』 信頼回復へ首相の重い責任」(10月14日)
「簗農水相辞任 切って終わりではない」(10月15日)
と威勢がいいが、自社ネタで巻き返す力は大新聞やテレビにはなかった。
文春(10月22日号)が、簗和生が選挙中、電話で投票依頼する運動員16人に、時給800円を払っていたという「買収罪」疑惑を報じ、高市首相も観念して、簗の首を切った。
今や、政治家たち権力者のスキャンダルは文春が一手に引き受け、新聞やテレビはその後追いメディアと相場は決まった。
簗農水相のスキャンダルだけでは終わらなかった。簗の次に農水相になった武部新にも公選法違反があると文春が報じた。
さらに、“イケメン政治家”細野豪志復興相にも「闇事務所」問題があると報じている。
大新聞の記者たちは、こうしたスキャンダルをまったく知らなかったのだろう。
週刊新潮(10月29・11月5日号)は、朝日新聞の信じられない「誤報」があったと報じている。
7月に起きた熊本地震の際、朝日新聞は「『真っ暗闇で煙吸った』崩落のイオンモール、途絶えた彼女のLINE」という記事をデジタル版で報じたという。
イオンで働いていた彼女と連絡が取れないという記事だったが、該当しそうな女性がいない、LINEの画面を確認していなかったなどが判明し、4日後には削除し、謝罪文を掲載したというのだ。
新聞というのは、こんな記事でも裏を取っていなかったとは、驚くというより呆れ果てる。
日本大学危機管理学部の西田亮介教授は、現在、求められる新聞の在り方をこう語っている。
「私は10年前から、SNSやAIによって情報が溢れている時代には、整理、分析、啓蒙に貢献するジャーナリズムが必要だと主張しています。正しい情報と誤った情報を腑分けするのが整理で、大量のデータから意味を摘出するのが分析です」
私が以前から気に入らないのは、さすがに大新聞ではないが、スポーツ紙やネット・メディアに蔓延している「こたつ記事」である。
たとえば、「高市首相が睡眠もロクにとらずに国のために働いている」という発言を取り上げて、それに対してSNS上では「高市さん、もっと寝てください」「寝ないことを理由に危機管理できないのは首相失格」という声が溢れている、というような記事だ。
ここには、記者の「目」も「取材」もない。こんなふざけた記事が溢れているのだ。
取材現場の喪失と週刊誌存続の危機
私が週刊現代編集長の時代、FAXが普及して、作家やライターの家に行って原稿をもらうということが減ってきた。
私は編集部員に、「原稿は必ず本人に会って受け取れ。そうすれば、わずかな時間でも作家やライターの話が聞け、そこからその人たちとの交遊が始まるかもしれないのだから」といっていた。
しかし、編集者のなかには、FAXで原稿依頼し、FAXで原稿を送ってもらうだけで、一度も筆者と会ったことがないという編集者が出てきた。
そうやって多くの雑誌の編集者たちが人脈を築けず、現場で取材することもできず、雑誌そのものの「面白さ」を失い、休刊していった。
辛うじて週刊誌の原点を忘れていないのは、文春と新潮くらいである。
だが、新潮の休刊は時間の問題だといわれて久しい。
文春も紙の部数が減り続け、有料版の「文春電子版」も購読者が激増しているという話は聞こえてこない。
先の『噂真』がなくなって一番困ったのは、作家のスキャンダルを知ることができなくなったことだった。昔、菊タブー、鶴タブー、電通タブーなどというのがあった。今のタブーは、漫画家を含めた作家タブーである。
新聞は小説連載がある。テレビは原作を作家やマンガ家に頼り切っている。文春も作家のスキャンダルは、犯罪でも起こさない限り触れない。
超売れっ子作家だった東野圭吾が、がんで闘病していたことなど、亡くなってから知った。
その雑誌がもっている情報は、雑誌がなくなると消えてしまうのだ。
もし今、文春が休刊したらと考えると恐ろしい。芸能人の不倫も政治家や企業の社長、日本のどこにでもいる“ドン”といわれる悪徳権力者たちのスキャンダルが消えてしまうのだ。
極論すれば、この国の由緒正しい「権力ウオッチ・ドッグ」は、20万部を切る寸前の文春しかないのだ。
この国の言論表現の自由の最大の危機である。だが、この国の民は、「富国強兵」を目指し、防衛力をひたすら増やし続ける「権力大好き」な初の女性首相を、まだ半数近くが支持している。
これは、この国の言論が正常に機能していない証拠である。(次に続く=文中敬称略)
<プロフィール>
元木昌彦(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。









