シャープの危機~その前兆は20数年前からあった
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台湾ホンハイ傘下での再建報道によって、経営不振からの脱却なるかと話題になっているシャープだが、筆者にとって今も鮮明に当時の光景が目に浮かぶほど忘れられない出来事が同社との間に起こったことがある。今から約24年前の1992年(平成4年)の6月中旬のこと。ある地方銀行の大阪支店次長だった頃の話である。
私の勤務していた銀行は三和銀行(現東京三菱UFJ銀行)と親しかった。そのためシャープの準メインだった三和銀行の紹介で融資取引を開始するとともに、安定株主としてシャープの株式を保有するように勧められ、約36万株(当時)保有していた。
本店総務部から6月下旬に開催されるシャープの定時株主総会の議決権行使書が送られてきたため、それを持って地下鉄御堂筋線に乗り、西田辺駅で下車。徒歩数分でシャープ本社(大阪市阿倍野区長池町22番22号)に着いた。そこで受付の女性に入室許可の名札をもらい、総務部を訪ねて来訪の意図を伝えると、応接室に案内された。お茶が出てから待つこと30分。忙しいからだろうと思いつつ、「何故こんなに待たせるのか」と自問自答しながら、それから10分が経過した。もう待てないと意を決して応接室を退出。総務部の窓口に向かって、「あなた達の応対はどうなっているのか。わざわざ株主総会の議決権行使書を郵送ではなく、持参して届けに来たのに40分以上も待たせるのか」と伝えた。すると慌てて課長クラスの男性が出てきて詫びをいったが、それも儀礼的な挨拶でしかなかった。
その時私が意を決して大きな声で言った言葉はいまでもはっきり脳裏に残っている。
「株主を大切にしないあなた達の会社は今は良いかもしれないが、いずれ10年先、20年先には必ず経営危機に直面することになるよ」
そう一気に伝えて、その場を離れたのだ。議決権行使書は渡すことはしなかった。その出来事が銀行取引の窓口である財務部に伝わり、的場(某)財務部長が大阪支店に詫びの挨拶に来たが、お土産は年間100万ドルの外為取引だけだった。従来短ブラで経常運転資金300百万円を付き合いで借りていたが、それも既に返済されていた。
貸出取引は必要な時に必要な分だけ借入する利鞘の殆どない入札形式のスプレッド貸だけで、それもシャープ本体ではなく、子会社の金融会社であるシャープファイナンスからのオファーだけで、屈辱的な取引だったのだ。当時の事を思い出すたびに、シャープの経営不振は、メインの富士銀行や準メイン以外は目でないような扱いをしたつけが、いま回っているだけではないだろうか、と考える。そのメインの三菱UFJ銀行、三井住友銀行からも見放されて、今度は台湾のホンハイにその身を任せようとしている。
果たしてシャープは現体制のままで本当に生き残ることが出来るのだろうか。むしろ現経営陣は退陣し、官民ファンドの産業革新機構のもとで、新経営陣によって新しく生まれ変わり、再生を図った方が良いように思われる。【北山 譲】
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