ミャンマー慰霊の旅を通して平和を考える(中)
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1月23日にミャンマーに入り、計5カ所を訪問し慰霊祭を挙行した。最初の慰霊祭は24日、ミャンマー中央部の最後の王朝の地であるマンダレーから陸路で約1時間のサガインの地で行われた。サガインは、14世紀バカン王朝が滅びた後に、シャン族が都を建てた地である。第二次世界大戦の激戦地の一つとして知られる。サガインにある「サガインの丘」の頂上に旧日本兵の慰霊碑・パゴタ(仏塔)や石碑が祀られている。このサガインから北東部に中国の雲南省がある。その地へも祈りを捧げていたご遺族の姿が印象的であった。
25日は、マンダレーより南部のメイクティーラへ陸路で移動。約2時間でメイクティーラに到着し、さらに奥地に入ったレインドウ村での慰霊祭。レインドウ村は、高床式の住居が数軒と農業と家畜を営む家屋が存在する程度で、その他は何もない。あたりは野原だ。小笠原平吾氏はこの村に『菊歩兵56部隊』の慰霊碑を同志で建立している。「この何もない野原で戦ったのか?」と言葉に出るほどの環境であった。慰霊碑は、この村の村長が建立以来守ってくれているという。なお、平吾氏は慰霊碑への道標を独自で建て、迷わずに行けるように尽力した。その後近隣のザンギャンゴン村で慰霊祭を行った。
26日にバガンからヤンゴンに空路で移動し、27日にヤンゴンから北東部に陸路で約2時間のニャンカシーにて慰霊祭が行われた。ニャンカシーは、旧王朝(13~16世紀モン族のバゴー王朝時代)の都として、マンダレーやバガンと並んで歴史ある街として繁栄しているバゴー地区の近くに位置するが、この地も一帯が野原であった。
28日は、最後の慰霊祭がヤンゴンの日本人墓地にて行われた。ヤンゴンの中心部から自動車で約30分の郊外の北オッカラに日本人墓地がある。日本人墓地は、約3,500坪の広大な面積を有し、各所に「英霊の墓」や「無縁仏」、「家族が建てた碑」が建立されている。墓地内の中央に、「ビルマ平和記念碑」が建立されている。碑には、「さきの大戦においてビルマ方面で戦没した人々をしのび、平和への思いをこめるとともに、日本ビルマ両国民の友好の象徴としてこの碑を建立する」と記されている。”ビルマ戦線”で約19万人の日本人が絶命したとされる。当地で散った英霊へ静かに鎮魂の祈りを捧げた。
以上、5カ所でのわが国のために殉じた同胞への慰霊─本能として、今ある平和と自身の生命へ心より感謝し、一日を大切に生きていくことを誓った。(つづく)
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