2024年12月23日( 月 )

明治日本の産業革命の出発点「高島炭鉱」の記録~鵜沼享写真展

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炭鉱があった事実を伝える写真展

炭鉱労働者の様々な姿を捉えた鵜沼氏の写真<

炭鉱労働者の様々な姿を捉えた鵜沼氏の写真

 世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成資産の1つである「北渓井坑跡」(ほっけいせいこうあと)がある長崎市高島町。同町の高島ふれあいセンターで7月16日から8月16日までの1カ月間、写真家・鵜沼享(うぬま すすむ)氏による写真展「REMEMBER TAKASHIMA 炭鉱遺産・高島閉山の記録」が開催中である。

 鵜沼氏は、1941年に福岡県甘木市(現・朝倉市)で生まれ、三菱造船(現・三菱重工)の機械工(旋盤工)として45年間、定年退職まで勤務。そのなかで、高島炭鉱が閉山した1986年11月の前後、約1年間、炭鉱の作業現場や島民の生活をフィルムに収めた。その写真点数は約7,000点。今年6月29日には、そのなかからピックアップした700点を収録した写真集「REMEMBER TAKASHIMA 炭鉱遺産・高島閉山の記録」(忘羊社)が発刊された。今回の写真展では、そのうち165点が展示されている。

北渓井坑跡<

北渓井坑跡

 16日のオープニングセレモニーで、写真展を主催したNPO法人長崎iA3(アイランズ・アクト・スリー)の久遠龍史代表は、「世界が300年かかった産業革命を日本は100年で成し遂げました。とくに石炭産業が近代化のスタートであり、その最初が高島です。日本を支えるという熱い想いが集約した写真展です。石炭発祥の地という事実を語り継いでこそ、まちづくりがあると思います」と、明治日本の産業革命における高島炭鉱の存在意義を語った。

 世界遺産の構成資産となった「北渓井坑」は、1868(慶応4)年、佐賀藩とグラバー商会との共同出資で炭鉱開発が開始され、外国人技師により、1869(明治2)年4月に深さ43mで着炭。日本初の蒸気機関を動力とする巻揚機や排水ポンプが設置された竪坑である。鵜沼氏の写真集を監修した元炭鉱労働者(坑務課安全灯係)で、90歳となった今も高島に暮らす山崎徳(やまざき めぐみ)氏は、「蒸気機関もさることながら、入気と排気の3つに分けた造りが、端島炭鉱、筑豊、三池炭鉱に伝わり、出炭量を増やすことにつながっています」と説明する。

写真家・鵜沼 享 氏<

写真家・鵜沼 享 氏

 炭鉱で働く精悍な男たちや島で元気に遊ぶ子どもたち、閉山反対運動の様子、炭鉱施設や住居施設が林立する風景などを収めた鵜沼氏の写真について、山崎氏は「端島(軍艦島)が度々紹介される一方、高島は写真も出ず、寂しい思いをしていました。生き生きとした写真に懐かしい思いがこみあげてきました」と感想を語る。鵜沼氏は、フィルムをデジタル化するまでの作業が難航したこと、協力してくれた印刷技師や出版社の忘羊社への感謝の念を述べるとともに、「撮影したことが間違いではなかった。高島に炭鉱があった証として使っていただきたい」と語った。

 鵜沼氏は開催期間中、月3回行っている公民館での写真講座の日以外は、基本的に写真展の会場にいる予定。見学者への説明を行うほか、「当時、島で出会った人たちの再会も楽しみにしています」と語る。日本の急速な近代化と戦後の復興と高度経済成長を支えた石炭エネルギーを生み出した技術。その原点が高島町の「北渓井坑」にある。「明治日本の産業革命遺産」の出発点を、炭鉱時代の様子がわかる写真展とともに見学してみてはいかがだろう。

【山下 康太】

■鵜沼享写真展「REMEMBER TAKASHIMA 炭鉱遺産・高島閉山の記録」

<期 間>
2015年7月16日(木)~8月16日(日)
午前9時30分~午後5時(最終日は午後4時まで)

<会 場>
高島ふれあいセンター
※長崎港より高速船「コバルトクィーン」で約35分。高島ターミナルから徒歩約5分。

<料 金>
無料

<備 考>
期間中、NBC長崎放送制作・提供のドキュメンタリー「高島百年の春」(1981年)を上映。

<主催・お問合せ>
NPO法人 長崎iA3(アイランズ・アクト・スリー)
TEL:095-898-2161

 

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