2024年12月18日( 水 )

乗っ取られた昭和自動車!?(4)~乗っ取りの手口(?)不可解な増資&新株発行

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 現在、青木家親族のA氏が昭和自動車(株)を相手取って訴えている「新株発行不存在確認訴訟」とは、新株の発行の事実自体が存在しないという訴えだ。問題にしているのは、終戦間もない頃に昭和自動車で行われた3回にわたる増資および新株発行。A氏は、このときの手続きに関して著しい瑕疵があるとして、新株発行の不存在を訴えている。
 問題となっている3回の増資および新株発行について、順を追って見てみよう。

問題の「臨時株主総会決議録」や「株金払込領収証」(一部)<

問題の「臨時株主総会決議録」や「株金払込領収証」(一部)

 1937年9月11日に、青木洋鉄商店が昭和自動車の経営権を譲り受けた。当時、青木洋鉄商店の創業者であった青木榮藏氏はすでに死去。榮藏氏の子息である省二郎氏および良祐氏はまだ年若く、青木洋鉄商店の支配人だった金子道雄氏がその代理を務めていたものの、昭和自動車の代表取締役には省二郎氏が就いていた。
 太平洋戦争最中の42年10月1日時点で、昭和自動車の資本金は75万円、発行済株式総数は1万5,000株。そのうち、当時取締役だった金子道雄氏の保有株数は1,980株にすぎなかった。
 そして終戦直前の45年7月25日付で、金子道雄氏が昭和自動車の代表取締役に就任。同時に青木省二郎氏は代表取締役を辞任し、取締役会長に就任した。

 そしてここから3回にわたって“不可解”な増資および新株発行が行われる――。

 1回目は、46年10月4日に実施。このときは臨時株主総会で資本金を75万円から135万円に増資する旨の決議が行われ、新株1万2,000株を発行。昭和自動車の資本金は135万円、発行済株式総数は2万7,000株になった。
 2回目は、47年3月8日に実施。臨時株主総会で資本金を135万円から250万円に増資する旨の決議が行われ、新株2万3,000株を発行。資本金は250万円、発行済株式総数は5万株に。
 そして3回目は、47年9月1日に実施。臨時株主総会で資本金を250万円から350万円に増資する旨の決議が行われ、資本金は350万円、発行済株式総数は7万株となった。

 これら3回にわたる増資により、昭和自動車の資本金は275万円増加し、新たに5万5,000株が発行された。しかも、新株の85%に相当する4万6,850株が金子道雄氏に割り当てられている。これにより、金子道雄氏の保有株式総数は4万8,830株と、昭和自動車の株式全体の約70%を保有するに至っているのだ。
 その結果、金子道雄氏は代表取締役かつ筆頭株主として、昭和自動車のトップの座に君臨。また、創業家一族である青木家の者が役員から外れていく一方で、金子氏の身内(親族、部下等)が役員に就任するなど、名実ともに昭和自動車の支配権を掌握するに至った。
 このようにして金子道雄氏は戦後間もない頃、昭和自動車の経営権を創業家の青木家より“乗っ取った”と読み取ることができる。

 この3回の増資および新株発行の決議について、A氏は疑義を唱えている。

 たとえば、3回開催された臨時株主総会ではそれぞれの決議録が残されており、そこには出席者の署名捺印がなされている。だが、1回目の決議録に記載されている署名は、自筆ではなく印刷されたもの。また、各決議録には「取締役会長 青木省二郎」「常任監査役 青木良祐」「株主 青木ヨネ」といった青木家3人の名前も確認できるが、捺印されている印影はすべて三文判。しかも、それぞれが当時使っていた印鑑とは異なっている。さらに、榮藏氏の妻であるヨネ氏は、当時は会社経営に何ら関与していない主婦であり、株主総会に出席するはずもない――というのがA氏の主張だ。
 そうしたことから考えると、この臨時株主総会が正当な手続きを経て開催されたものかどうかが、そもそも疑わしいというのだ。

 また、新株5万5,000株のうち、85%に相当する4万6,850株が金子道雄氏に割り当てられたことを述べたが、当時の株式の額面金額は1株当たり50円。そうすると、金子道雄氏が合計234万2,500円(50円×4万6,850株)を出資した計算になる。
 だが、大学卒の国家公務員の初任給が540円、総理大臣の給料でも3,000円の時代(いずれも46年当時)。そんな時代において234万2,500円はまぎれもなく大金であり、一個人にすぎない金子道雄氏がそうした大金を実際に用立て、払い込んだということは考えにくい。このときの「株金払込領収証」では、「金子道雄氏」が「昭和自動車株式会社 代表取締役 金子道雄氏」宛に払い込んだとされている。つまり、“自分で自分に”大金を払い込んだかたちになっており、実際に払込がなされたかどうかは、かなり疑わしいと言わざるを得ない。そのため、この新株発行のうち、少なくとも金子道雄氏に割り当てられた分については、著しい手続的瑕疵があると考えられるのだ。

 結論として、この3回にわたる新株発行は、金子道雄氏が昭和自動車の支配権を確立するために形式的に行ったものであり、不存在である可能性が高いと思われる――というのが、A氏の主張だ。

(つづく)
【坂田 憲治】

 
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