杵築の城下町に息づく日本の魂

 大分県国東半島にある江戸時代の城下町の風情を色濃く残すことで知られる杵築(きつき)。杵築の夜は、時間が井戸の底に沈んだような静けさに満ちている。酢屋の坂のふもとにある「ます田や」で、冷えたアサヒスーパードライのグラスを手にすると、泡が静かに弾ける。カウンターにひじきの小皿がそっと置かれ、店長の下村亮介さんが微笑む。「このまちを残すために、できることをやりたいんだ」。その言葉は、潮風のように心に染みる。常連のガミさんがジャックダニエルを傾け、ぽつりと笑う。シイタケの炒め物から漂うニンニクの香りが、商業の喧騒を遠ざけ、サムライの心を静かに灯す。

 「ます田や」は、かつて金物屋だった場所に建つ。屋号は、前の持ち主から託された魂の欠片だ。「チューブのニンニクでもいいけど、生のほうが誇りなんだ」。下村さんが差し出す酒のアテは、優しく、魂に響く。杵築の料理──ひじきもシイタケも──は、日本の心をそっと抱きしめるようだ。観光客であっても、ここで盃を交わせば、地元の温もりにふれられるだろう。ガミさんの笑顔が、そっと背中を押してくれる。

 翌朝、二日酔いの頭で「ます田や」のおにぎりとだんご汁を味わう。午前10時、快晴の空の下、酢屋の坂へ向かう。石畳が朝日にきらめき、潮風が頬を撫でる。地元の人々の微笑みが、「ようこそ」と観光客を迎える。坂の先、杵築城が遠くに佇む。控えめなその姿が、杵築の静かな誇りを物語る。坂を登り切れば、大原邸や磯矢邸が待っている。着物を借りて江戸の風をまとい歩けば、心が軽やかになる。

 大原邸では、ガイドの声が松平家老の暮らしを蘇らせる。白壁の公空間、土壁の私空間、そして畳張りの厠。板なら楽なのに、畳を選ぶ真剣さ。その精神が、畳の隙間に息づく。縁側に座り、庭を見つめる。そこは、魂の静寂そのものだ。隣の磯矢邸の庭は、御用屋敷の名残を宿し、木々の影が心に沈む。ガイドがなくとも、庭の美はサムライの心を囁く。杵築の武家屋敷は、明治の衰退を越えて今に残る。石垣に刻まれた歴史は、魂の凍結のようだ。

 杵築のまちは、かつて格式を誇った。だが、時代の波に色褪せ、武士は去った。それでも、サムライの心は息づく。下村さんの時計店は、電池交換を求める客がいる限り続く。「大分で店先で交換できるのは、僕だけかもしれません」。その言葉に、畳の厠の真剣さが響く。西郷隆盛が148年後の僕に魂を届けたように、杵築は商業の輝きを拒み、魂を残した。このまちの旅は、魂を未来に繋ぐ。

 だから、魂を見失ったとき、杵築へ行ってほしい。酢屋の坂を登り、潮風を吸い込む。大原邸の縁側で、サムライの静寂に耳を澄ます。「ます田や」で、下村さんの酒のアテを味わう。そこには、日本の心が、冷えたビールのように、静かに、力強く、息づいている。こどもたちに、この魂を触れさせたい──杵築の滞在は、そんな親の思いを呼び醒ます。「きっと好きになる杵築(きつき)」。その言葉が、月曜の朝も心を巡る。

【児玉崇】


<INFORMATION>
第38回きつきお城まつり 開催案内

〔日時〕
5月5日(月・祝) 午前9時半スタート
〔場所〕
杵築城下町一帯(少雨決行)

城下町が戦国時代にタイムスリップ!甲冑姿の武者行列、火縄銃演舞、大迫力のステージイベントが楽しめます。家族向けイベント(チャンバラ大会、スタンプラリー、防災体験、こども遊び)も盛りだくさん!

〔メインイベント〕
•火縄砲術隊演舞(午前10時/午後1時頃/午後5時頃)
•武者行列(午後1時頃、午後5時半頃、大原邸→酢屋の坂→ステージ)
•芸能文化発表会・ダンスフェスなどステージイベントも開催
〔アクセス・駐車場〕
海浜夢公園から無料シャトルバス運行。詳細はQRコードまたは観光協会HPをご確認ください。
〔お問い合わせ先〕
きつきお城まつり実行委員会(杵築市観光協会内)
TEL:0978-63-0100
第38回きつきお城まつり特設サイト https://sites.google.com/view/oshiromaturi/

法人名

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