プレミアムセミナー『財務省の正体とビジネス防衛論』補論 財務省の支配手段「第三分野」支出と新自由主義者の欺瞞
政治経済学者 植草一秀 氏
去る6月20日、福岡市民ホールにて、政治経済学者の植草一秀氏を講師に招き、データ・マックス主催のプレミアムセミナー『財務省の正体とビジネス防衛論』と出版記念パーティーを開催した。大盛況のうちに幕を下ろした本セミナーだったが、当日に語り尽くせなかった内容について補足する原稿を植草氏に書き下ろしていただいた。日本の政治経済を硬直させている財政政策の大きな問題点を、以下の植草氏の主張から改めてつかみ取っていただきたい。
カルト集団「ザイム真理教」と日本の構造的病理

筆者は6月に『財務省と日銀 日本を衰退させたカルトの正体』(ビジネス社)を上梓した。財務省問題に焦点が当てられる契機となったのが森永卓郎氏による『ザイム真理教』(フォレスト出版)である。筆者は森永氏と親交を有してきた。森永氏が経済企画庁で勤務していた時期に筆者は大蔵省で勤務した。筆者の場合は国家公務員としての勤務であったが、霞が関官庁の基本構造を同時代に肌身を通して体得した共通の経験を有する。
霞が関で強大な権力を有する大蔵省=財務省を頂点とする権力構造を森永氏は「ザイム真理教」と表現した。批判を許さぬ絶対性を保持するという意味で「カルト」の表現は的確であると考える。財務省を仕切るのが偏差値秀才であるために世間では財務省神話が存在するが、問題は彼らがどのような行動原理を有しているかだ。その行動原理の歪みが日本衰退の主因になってきた。
筆者はこの認識をわかりやすく解説することを目的に新著を出版した。目的は現状を是正することにある。このまま進めば日本は世界でも最悪の生活困難国に転落するだろう。経済大国として台頭した歴史を有しながら、いまや圧倒的多数の国民が生活苦にあえいでいる。
本稿ではセミナーで語りきれなかった部分を補足しつつ、ここから脱出する方策を考察する。
形骸化した国会と霞が関の二大巨悪

日本国憲法は国会を国権の最高機関と定めている。憲法前文には「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動、(中略)主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と書かれている。
主権者の代表によって構成される国会が国権の最高機関だ。国会の多数勢力によって内閣が組織され、行政は内閣によって行われる。行政官庁は内閣の指揮下で業務を執行する。政治システムの中核は主権者の代表である国会議員である。これが制度としての日本の行政機構だ。
しかし、現実には内閣の指揮下に置かれる行政官庁が政治家、内閣、国会を支配している。行政官庁が政策を立案して国会に提出し、国会では行政官庁の振り付け通りに政治家が質疑応答を行う。行政の執行においても行政官庁が主導権を握る。この官僚支配構造が温存されている。政治の頂点に行政官庁が君臨し、主権者の代表である国会議員は行政官庁の支配下に置かれてしまっている。その行政官庁のなかで突出した権力を握っているのが財務省・金融庁グループと警察・検察・裁判所グループである。
もっとも根源的な基本的人権は身体の自由である。憲法第31条は〔生命及び自由の保障と科刑の制約〕として「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めているが、この身体の自由を奪うことのできる権力が警察・検察・裁判所勢力だ。日本においては警察・検察・裁判所権力の腐敗が著しい。主権者の人権を守るための「法の番人」としての存在ではなく、「政治権力の番人」としての存在に成り下がっている。
国家の政策運営全般に圧倒的な影響力をもち、独裁的な政策運営を主導する「ザイム真理教」に対抗するもう1つの霞が関超絶権力機構が「ホウム真理教」である。「ザイム真理教」と「ホウム真理教」の暴走が日本を「衰退する暗黒国家」に陥れている。
財政政策の核心は資源配分「第三分野」とは何か
財政論議で常に問題とされるのは財政赤字だ。毎年度予算における財政赤字=国債発行額として、過去の財政赤字の累積である国債発行残高が常に取り上げられる。財政運営においては、この財政赤字の削減と国債発行残高GDP比の引き下げが政策運営の最重要課題であると論じられる。
このことが財政政策論議を歪めている。重要なのは財政赤字の多寡ではなく、財政支出の中身である。貴重な財源をどのように振り分けるのかが重要なのだ。財政収支ではなく財政資金による資源配分が最重要なのだ。
財政支出は3つに分類することができる。1つ目は警察・国防など国家の存立に必要不可欠な支出、2つ目は社会保障支出、3つ目がその他の政策支出だ。
ところで、政府は民間の経済活動への関与を最小限に留めるべきとの主張がある。経済活動は市場に委ねるべきで、政府は経済活動に介入すべきでない、と。これは市場原理を基軸にする経済政策運営で「市場原理主義」とも表現される。
また、政府の社会保障支出は最小であるべきとの主張もある。自然界を貫く原理は弱肉強食であって、人間界にもこの原理が適用されるべきとの考え方だ。たとえば、税金で財源を調達し所得の少ない国民に給付して結果として平等化を図る、そのような政策を否定する。自由な経済活動の結果として勝者と敗者が生じるのは当然であるとして、この結果に対して政府が介入すべきではないと主張する。これが「リバタリアニズム」である。
18世紀から19世紀にかけての資本主義発展過程でベースに置かれたのは市場原理主義、リバタリアン思想であり、レッセフェール=自由放任を根幹に据える古典派経済学が主流をなした。しかし、20世紀に入り、自由放任の経済政策がもたらす歪みが拡大し、その歪みを是正することの重要性が認識されるようになった。
この流れのなかで所得再分配政策の重要性が認識された。リバタリアニズムに対してリベラリズムの思想が台頭したのである。基本的人権では自由権に加えて、新たに「生存権」が重視され、社会のすべての構成員に一定の生活水準を保障することが国家の最重要の役割として位置付けられた。この政治哲学を背景にする財政支出が社会保障支出である。
他方で、近年、急激な拡大を示しているのが第三の分野としての「その他の政策支出」だ。半導体企業が工場を新設するのに国が兆円単位の補助金を投下する。民間でロケット事業に取り組みたいとの企業が現れると国が兆円単位の基金を創設して補助金を投下する。自動車メーカーが電気自動車開発のために燃料電池の開発が必要だと訴えると数千億円の補助金が投下される。さらに、高燃費のハイブリッド自動車に対して国家が1台につき40万円もの補助金を投下する。
日本でこの「第三分野」の財政支出が急激な拡大を示している。そして、極めて奇妙なことは、「レッセフェール」の経済政策を主張し、社会保障支出を削減せよと叫ぶ「新自由主義提唱者」が「第三分野」の財政補助金を懇願して、実際に受領していることだ。
新自由主義者の根本矛盾「第三分野」支出の激増
「レッセフェール」の経済政策を主張して「第三分野」の補助金財政を否定するなら、それも1つの見識である。市場原理主義・リバタリアン思想は1つの立場であると理解できる。
これとは反対に、現実には経済活動を行う初期条件に著しい格差が存在し、どのような初期条件を得るのかは事前に誰もわからないのだから、初期条件の格差に基づく結果としての巨大な格差を放置することは適正でない、という主張にも説得力が生まれる。
このようにリベラリズムは、平等なスタートラインに立つことができない個人が存在することを前提に、社会の一部の人々が不当に不利な立場に置かれないよう、国家が積極的に支援すべきだとの立場から、財政支出における社会保障支出の重要性を重視する。
バブル崩壊が始動して35年の時間が経過した。失われた10年が失われた40年になろうとしている。1995年を100としたドル換算名目GDPの2024年の水準は米国が382、中国が2,565に拡大したが、日本は73に縮小した。日本の労働者1人あたりの実質賃金は1996年から2024年までの28年間に17%も減少した。
国税庁の民間給与実態調査によれば1年を通じて勤務した給与所得者5,000万人の51%が年収400万円以下、20%が年収200万円以下になっている。OECDが公表する購買力平価換算の平均賃金水準ではG5と韓国の6カ国中、日本は1995年に第3位だったが、2016年に韓国に抜かれて最下位に転落して現在に至る。
01年発足の小泉純一郎内閣が「改革」を叫び、新自由主義経済政策が埋め込まれ、正規労働者から非正規労働者への移行が促進されてきた。かつて「一億総中流」と表現された日本の分配構造は、いまや世界有数の格差大国に移行している。
新自由主義を提唱した勢力は社会保障支出の圧縮を主張して「小さな政府」を提唱してきたように思われている。現実に社会保障支出の水準は確実に引き下げられ、他方で社会保険料負担は著しく引き上げられてきた。
ところが、このなかで極めて奇妙な現実が生じている。それが「第三分野」の補助金財政支出の激増なのだ。新自由主義経済政策を唱える者は、経済活動への政府の介入を批判してきたはずだ。従って、「第三分野」の補助金財政支出に対しても批判の目を向けねばならないはず。ところが、現実には「第三分野」の補助金財政支出が激増の一途をたどっている。
財源論のミステリー「第三分野」批判タブー
テレビ番組で市場原理主義を賞賛して政府応援の発言を並べる実業家と称される人物は「反ワク批判」を繰り広げつつ、自らが手がけるロケットビジネスで巨額の財政補助金を手にしている。
国の財政支出における社会保障と防衛・コロナを除く政策支出予算の合計は1年間で約23兆円である。毎年度大きな変動がない。この23兆円に公共事業関係費、文教および科学技術振興費、食料安定供給関係費、エネルギー対策費、経済協力費、中小企業対策費などのすべての政策支出が含まれている。毎年度の予算折衝でギリギリの査定が行われている。
ところが、この外側で驚くべき放漫財政が展開されている。20年度から23年度までの4年間に補正予算で財政支出が154兆円追加計上された。1年平均39兆円である。年間予算23兆円でギリギリの予算査定が行われている一方で、年間39兆円の補助金バラマキ財政が展開されている。また、防衛関係費は22年度に5兆円規模だったのが23年度にはいきなり10兆円規模に倍増された。
25年度予算で高額療養費制度改悪が先送りされた。高額な医療を受けた際に発生する医療費の本人負担について上限を設定するのが高額療養費制度。高額医療を受けねばならない国民の生存を支えている命綱だ。本人負担を激増させる制度改悪が提案されたが猛反発が生じて先送りされた。
制度改悪による25年度政府負担軽減額は100億円が見込まれていたが、制度改悪が見送られたため政府負担は100億円増える。この100億円の負担増について、テレビ朝日「報道ステーション」司会の大越健介氏は「制度改正の見送りを主張するなら野党は財源を示すべきだ」と主張した。
しかし、20年度から23年度に補正予算で追加された財政支出は154兆円。この全額が国債発行で賄われた。このとき、財源を手当てすべきとの議論はまったく浮上しなかった。大越氏が発言した事実も聞かない。
これを筆者は「財源論のミステリー」と呼んでいる。後述する消費税減税と社会保障支出維持を唱えるときにだけ「財源論」が噴出し、利権補助金支出追加の際には「財源論」が一切叫ばれない。20~23年度の154兆円補正予算財政支出追加のほとんどが利権財政支出追加だった。
利権財政を脱却して国民を守る権利財政へ
1989年度に導入された消費税は2023年度までの35年間に509兆円を吸い上げた。この消費税は財政再建や社会保障拡充に充当されるといわれてきた。しかし、同じ期間に個人の所得税・住民税負担が286兆円、法人の法人税・住民税負担が319兆円軽減された。つまり、消費税収のすべてが個人・法人の減税に充当され、財政再建や社会保障拡充には1円も使われなかったということになる。
大企業の税負担率は各種租税特別措置等によって著しく低位に抑制され、また法人税率の大幅引き下げも断行されてきた。所得税は収入が1億円を超えると税負担率が低下の一途をたどる。金持ち優遇の歪みをもたらす金融所得分離課税が温存されているためだ。
一般会計国税収入は1990年度60兆円、2020年度61兆円でほぼ同額。しかし、構成がまったく違う。1990年度は所得税26兆円、法人税18兆円、消費税5兆円だったが、2020年度は所得税19兆円、法人税11兆円、消費税21兆円。どちらが格差是正税制でどちらが格差促進税制であるかは一目瞭然だ。税収規模が変わらないなら、税制を1990年度型に戻すべきである。
2020年度から24年度の4年間に税収が14.9兆円増加した(定額減税2.3兆円を含む)。この自然増収を財源に消費税率5%への引き下げを断行すべきだ。石破内閣は1人2万円の給付金支給を提案した際、税の自然増収を財源にすると言明した。つまり、自然増収は減税の正当な財源になる。直近4年間で15兆円の自然増収が発生したから、15兆円減税を意味する消費税率5%への引き下げは時宜に適った最適な経済政策になる。
財務省の基本戦略は庶民に過酷な消費税で財源を調達し、一方庶民への社会保障支出を切り、利権補助金財政支出を拡大させるというものだ。庶民に手厚くしても財務省の天下り利権は増えないが、利権支出を増やせば財務省利権が膨張する。これが基本戦略の背景にほかならない。
この財政基本戦略を根本から是正する必要がある。消費税を減税し、大企業と富裕層に適正な税負担を求める。財政支出では利権補助金財政支出を切って社会保障支出を増大させる。社会保障支出は国民の権利を守る支出だ。利権財政を切り、権利財政を拡大することが求められる。財務省支配の日本政治を打破して、国民の幸福のための政治を実現させなければならない。
<PROFILE>
植草一秀(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)代表取締役、ガーベラの風(オールジャパン平和と共生)運営委員。事実無根の冤罪事案による人物破壊工作にひるむことなく言論活動を継続。経済金融情勢分析情報誌刊行の傍ら「誰もが笑顔で生きてゆける社会」を実現する『ガーベラ革命』を提唱。人気政治ブログ&メルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。98年日本経済新聞社アナリストランキング・エコノミスト部門第1位。2002年度第23回石橋湛山賞(『現代日本経済政策論』岩波書店)受賞。著書多数。