必ず完遂することを徹底~追悼 宗政伸一氏
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(株)サニックスの代表取締役社長、宗政伸一氏が1月7日に逝去されたことがわかった。
享年67歳。死因は、咽頭膿瘍の疑いとされている。心より哀悼の意を表する。故人の経歴は各方面で紹介されているのでここでは繰り返さないが、(株)サニックスは宗政氏ご自身が1975年4月に建築物等の防虫・防腐に関する管理及び工事を目的として長崎県佐世保市で創業したところにまでさかのぼることができる。その後78年9月に法人改組し、以後年々業績を伸ばして東証一部上場を果たし1,000億円規模の企業に育て上げた。96年9月に株式を店頭登録した際には、人目を憚らず涙を流して喜ばれたという。その涙には、創業当時より「シロアリ工事屋さんか…」と卑下されながらも、歯をくいしばって同社の理念「きたないところをきれいする」を貫いて事業展開し、自社を己の腕一本で育て上げ、総合環境衛生業のリーディングカンパニーとして業界の地位向上に尽力されたすべてが詰まっていたのではないかと推察する。氏のお人柄を偲ぶ方々は多いことだろう。
筆者は、同社のラグビー部のマネジメントスタッフとして2003年2月に入社した。同社の本業については詳細な知識はなく、また宗政氏と直接言葉を交わしたことは、在職3年中ほとんどなかったのは非常に残念なことである。
宗政氏は、ラグビー部へは最大の支援を行っていただき、そして常に応援に駆けつけていただいた。一部上場企業の社長という分刻みのタイトなスケジュールのなかでも、ほとんどの公式戦に来てくださった。部が節目の試合を迎えた時には、ラグビー部のために訓示をいただいていた。その訓示で印象的だったことは、「表明したことは必ず完遂すること」という言葉であった。そして一切の言い訳は受け付けなかったことが思い出される。それこそが宗政氏の本質で、自らその姿勢を貫かれたからこそ、今日の同社があるのだと思う。
福岡県内におけるスポーツ施設のメッカである宗像市のグローバルアリーナは、宗政氏が私費(株式公開時に得た創業者利益)を投じて「青少年育成に貢献できるものを」と建設したものである。当時「本当に建設できるのか」と口さがない周囲がささやいていたが、2000年4月に無事オープンした。表明したことは必ず完遂させる、宗政氏が自らの姿で示した一例である。九州・福岡から全国区の企業へと育て上げ、地元の経済界をけん引する経営者として期待が大きかった一方で、大胆な人事を断行した部分もあり、その結果敵となる人々も多数いたために、苦境に直面することも一度ならずあった。起死回生の策として太陽光発電事業へ大きく舵を切り、再び脚光を浴びたが、2014年9月に九州電力が「産業用太陽光発電の接続申込みを保留する」と公表したことで事業縮小を余儀なくされたことは、不運であった。
宗政氏が遺された事業の有形・無形の財産は大きい。ただこれまで宗政氏ご自身の腕一本で作り上げて、やり遂げたことを、ノウハウとして継承し同社の発展につなげる形で生かしていけるかどうかは未知数である。その点は、宗政氏ご本人もさぞ無念であったろうと推察する。合掌。【河原 清明】
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