2024年11月26日( 火 )

避難勧告が解除されない朝倉市黒川地区~「助け合って前を向いていかんと」(後)

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助け合いの地域性

橋が壊れ向こう側に行けない

 「避難物資は十分すぎるほど届いているが、誰も取りに来ない。本当は困っているはずなのに」と語るのは高木コミュニティー協議会の鳥巣秀茂さんだ。協議会のある施設の入口には山積みになったカップラーメンやペットボトル入りの水などがあるが、地域の人たちはそれを貰いに来ず、自分たちで調達しているようだ。「うちはまだマシ、ほかの困っとる人たちにあげて」という地域性を表しているのだろう。

 鳥巣さんによると現在、同協議会は老朽化を理由に、隣接地で新しい施設を建設中だった。災害当日(7月5日)は午前中から街中の人たちを集め、新施設についての話し合いが行われていたそうだ。「(地区に隣接する)寺内ダムの水位が下がり、底が見えかけた状況だった。白骨のようなものが見えるということで大騒ぎしていたが、ダムの水位が低かったのは幸いだったのかも」(鳥巣さん)。仮に寺内ダムの水位が高い状況であれば、被害はもっと大きなものとなったのかもしれない。

水路が丸見えのところも

 取材した7月26日現在、市役所や黒川の人たちも地区全体の被害の全容は把握できていないようだ。特に電気の通じていない黒松地区はほとんどの家が流されたためわからないという。「地区には手付かずの所も多い。できればボランティアの派遣をお願いしたいが、避難勧告が解除されなければなかなか来れないのもわかる。早く勧告が解除されるのを待つしかない」。

 黒川地区は災害時、現在は廃校となっている高木中学校の校庭をヘリポートとして使用することが以前から決まっていた。しかし、同校の前にかかる橋が流される想定外の事態も発生したことで、救助活動が難航。災害時は電気、携帯電話の電波などの全てのインフラが遮断され、不安と恐怖が渦巻くなか、数日間を過ごしたという。そのようななか人々が助け合い、何もない中で食事の準備を行った所もあるとのこと。地域の人たちの絆が深い分、被害を最小限に抑えたといっても過言ではないだろう。

作品が作品を救った奇跡

JAの建物も被災

 廃校となった旧黒川小学校を美術館として運営している施設がある。「共星の里」はアーティストたちの作品が各教室や校庭に展示され、一年間通して多くの観光客が訪れる人気スポットだ。

 同施設の周辺も大きな被害を受けた。隣接する「JAあさくら高木支店」(現在は閉鎖)は、流木、土砂などで破壊され、周辺の家屋も大きな被害を受けた。校庭には大きなピンクの岩が転がっており、岩石が木々を破壊していた。「そのピンクの岩は権現様(ごんげんさま)と呼び、9万年前に阿蘇の噴火でできた溶岩とも言われている」と語るのはアーティストの柳和暢氏。共星の里は周辺の鉄さくを流木と岩が突き破り、玄関前の校庭部分が土砂で埋まっていた。ブランコが土砂で埋まり、踏み台が埋没した状態となっていた。

 柳氏によると、施設内には黒川地区の子どもたちを送迎するスクールバスの駐車場があったが、数十メートル先へ流された。前述の高木コミュニティー協議会の新しい施設の建設のため設置されたプレハブ事務所も流され、無残にも畑の上に転がっていた。スクールバス自体は災害当日(7月5日)の午後3時ごろ、子どもたちを迎えに行くために出払っていたおかげで難を逃れた。おびただしい量の流木が散乱するなか、共星の里は大きな被害を受けたと思われていたが、施設の前に設置していた鉄の芸術作品(作品名:氣音(きおん)、柳和暢氏作)が食い止めた。

 「(氣音は)4メートルほど後ろに押しやられましたが、施設の前で止まってくれました。お陰様で作品は無事でした」と語るのは同施設のスタッフの尾藤悦子さん。同施設内には故人を含めた芸術作品が多数展示されており、もし、柳氏の「氣音」がなければ被害は甚大だったのかもしれない。一人の芸術家の作品が、施設内の作品を救った奇跡的な出来事と言っても過言ではないだろう。

 「校庭部分がキレイになるのがどれだけの時間を要するかわからないが、いち早く復旧して営業再開につなげたい」(尾藤さん)。周辺道路は通行止めが続き、復旧にどれだけの時間がかかるか不透明であるが、早期の営業再開は地域の復興に繋がるため、いち早い復旧が待たれる。

 今回の災害では土木工事会社の力が大きく光った。「仮設道路も地元朝倉の土木工事会社がいち早く手掛けた事で開通した。土木工事会社の貢献度は大きい」と話す人も多い。実際、朝倉市内の土木工事会社だけでは手に負えず、近隣の久留米地区の土木組合も全面的に応援している。「久留米の土木業者らは、休日返上で土嚢(どのう)を作り、トラックで毎日、被災地に送っている。炎天下で連日大変な作業が続くが、困ったときはお互い様」(土木組合幹部)と、周辺の協力体制が整っていることも復興を後押しする。

 「周囲のさまざまな協力には大変感謝している。助け合って前を向いていかんと。町から人が下りてしまえば、この地区の未来はない。このような状況となったが、また以前のように人が集うことができるよう精いっぱいやっていきたい」。地元住民らの声は明るかった。

建物への流木瓦礫の侵入を防いだアート作品

土砂で埋まったブランコ

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(了)
【矢野 寛之】

 
(前)

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