元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
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【第六章】人生の補助線
人生ではさまざまな問いに遭遇し、答えを見つけることは簡単ではない。そのとき、幾何の問いを解くように補助線を引いてみると、思わぬ答えに辿り着くこともある。もやい九州の活動に加えて、僕にとっての人生の補助線のいくつかを紹介したい。
対話のまち/津屋崎物語
津屋崎のまちは、僕が生まれ育った香住ヶ丘の最寄り駅である香椎花園前駅から西鉄宮地岳線に乗れば、一直線でつながっていた。幼い頃両親に海水浴に連れて行ってもらった津屋崎海岸の遠浅の浜と、足裏に優しかったきめ細かな砂の記憶が残っている。その宮地岳線は、平成19年(2007)に西鉄新宮の先が廃線となり、津屋崎は遠くのまちになってしまっていた。
その津屋崎に山口覚さんが移住して、平成21年(2009)にNPO地域交流センター「津屋崎ブランチ」を開設してから、一挙に距離が縮まり、今や自分にとって大切なサードプレイスになっている。山口覚さんをつないでくれたのが誰だったか、すっかり忘れてしまっていたが、山口さんが鹿島建設時代に机を並べていた後藤太一さん/現リージョンワークス代表だったことを思い出した(後藤太一さんとの縁もまったく不思議なのだ)。
そもそも山口覚さんが何で津屋崎にきたのかというところから話を始めたい。
津屋崎町が福間町と合併して福津市になったのは、平成17年(2005)1月24日。そういえば、合併後、僕も関わった初めてのマニフェスト型の公開討論会が行われたのが福津市長選挙だった。山口覚さんは、平成14年(2002)鹿島建設を退職し、福岡市に住み、東京での地域交流センターの仕事もしながら、合併協議会での住民ワークショップや新市総合計画づくりなどを手伝い、次第に津屋崎の人々との関係性を育んでいっていた。その一人が「藍の家」を拠点にまちづくり活動をしていた柴田富美子さんである。
そうこうするうちに大きな転機が訪れた。山口覚さんは、平成21年(2009)、国のふるさと雇用特別再生基金を活用した「津屋崎千軒を核とした移住・交流ビジネス化業務」を福津市にプロポーザルし、受託することになった。ポイントは(今では地域おこし協力隊などで一般的になっているが)都市から通って外からアドバイスするのでなく、自分自身が移住して内側から地域を活性化していくという点である。山口覚さんは、「自分がつくった計画は、自分が津屋崎住民となって実現する」と決意したのだった。
移住を前提にしたスタッフも全国公募で集めた。埼玉出身の木村航さん(現・放課後クラブ/三粒の種)、京都出身の古橋(旧姓・都郷)なびさん(現・学校たねの木)(以下、「なび」さんという)、福津市出身の坂田聖子さん達、14年経った今も津屋崎で定住している。山口覚さんは、都会の評価軸ではなく、生きていくこと、暮らしていくことを大切にし、そこから自分を開花する人を選んだとのこと。山口覚さんが津屋崎での定住を決めて、柴田富美子さんに家を探してほしいと電話したら、ちょうど空き家があって、山口覚さんに住んで欲しいと話していたところだったとか、なびさんは、山口覚さんが声をかけた日が、当時の職場に退職届を出した日だったとか。新しい何かが生まれるとき、何かに導かれているとしか思えない、本当にこういうことって起きるのだ。
大河の最初の一滴
そして、「津屋崎千軒を核とした移住・交流ビジネス化業務」の一環として、平成22年(2010)「新しいまちづくりの学校」がスタートした。
僕は、平成22年(2010)11月19~21日(2泊3日)の「本講座/第3講『大河の最初の一滴』の方法論~5年先をイメージするバックキャスト~」に参加したが、この体験は強烈だった。充実の話題提供者もさることながら、「まちごとキャンパス」として、教室はまちのなかにあった。スタービーチ、LANDSHIP CAFÉ、民宿若草、津屋崎小学校、津屋崎ブランチ、津屋崎千軒なごみを渡り歩きながら、場の力をもらい、「フューチャーサーチ」というミーティング手法を初めて体験した。【過去と現在】をタイムライン、トレンド、プラウド&ソーリーで確認し、5年後の成功事例やコモングランド(新しい常識)であるべき未来像を構築【未来】し、オープンスペーステクノロジーで、全員参加の【行動】をつくり出す。さまざまな対話形式のワークの連続、まちの人へ成果発表する一般公開プログラムを重ね、新しいプロジェクトが立ちあがっていった。それが、まさに大河の最初の一滴だった。
ここでは、ファシリテーターの意義や役割の大きさ、引き出す力を思い知らされたし、対話のもつ力の凄さも痛感した。そこに、中山哲志さん/当時大刀洗町の副町長がきていた(彼とは九州大学大学院のフレックスコースで一緒だった)。彼の行動宣言は、「ユデガエルになる前に考える役所になる」だったが、職員の派遣を思いついた。そして、翌年平成23年(2011)1月17日、当時大刀洗町役場総務課で住民参加のワークショップなどを担当していた村田まみさんが派遣されることになった(今や村田まみさんは「女豹の異名をもつスーパー公務員」として、全国にその名を轟かせ、マスコミなどでも引っ張りだこである)。村田まみさんは、自ら学びながら、本格的な職員派遣の段取りを整え、その後の継続的な職員派遣につなげていった。その取り組みは、大刀洗町役場内の「大刀洗ブランチ」へと発展していく。
そして、さらに大刀洗町は無作為抽出の町民の参加による「住民協議会」を条例で設置し、平成26年(2014)から住民協議会(自分ごと化会議)を毎年開催し、今や住民自治最先端モデルとの評価も得てきている。「新しいまちづくりの学校」に端を発した大河の最初の一滴が、この大きな流れにつながっていると言って過言ではないだろう。そして、その中山哲志さんは今、大刀洗町長なのだ。
このときの講座には当時佐賀県武雄市職員だった小松政さんも参加していたが、今や3期目となる堂々たる武雄市長である。あのときの大河の最初の一滴はさまざまに息づいているのだ。
その後毎年開催される「新しいまちづくりの学校」にはできるだけ参加してきたが、もう一つ特筆しておきたい。平成29年(2017)6月2日~4日(2泊3日)はダイアログツーリズムとして、山形市役所の後藤好邦君を講師に招聘し、「10年先を行く、見たこともないまちづくり〜新しいまちづくり、新しい自治体職員」が開講された。後藤君は自治体のカイゼン運動を通じて10年来の同志だったが、彼は当時すでにスーパー公務員の名を全国に馳せていた。後藤君のお題は「これからの市役所の役割と公務員のあるべき姿」、彼の公務員としての生き方が、対話の場の力でさらに浮かび上がってきた。宮崎県えびの市からきていた石坂乃里子さんの「公務員ってすばらしい職業なんだ」との素朴な感想は実に感動的だった。石坂乃里子さんは、「えびの未来カフェ」の仕掛け人であり、今やもやい九州の大切な仲間となっている。
ゲストハウス旧河野邸と意味の学校
津屋崎での次のステージは、平成24年(2012)8月のゲストハウス旧河野邸/意味の学校の旦那衆へのお誘いだった。津屋崎千軒のど真ん中の築60年の民家を再生し、「ゲストハウス旧河野邸」として活用することになったが、その改築費用を旦那衆の寄附によって賄おうとするもので、ゲストハウス旧河野邸は、「意味の学校」の学び舎、宿舎としても利用されることにもなっていた。意味の学校とは、誰もが学び合える「対話と交流の場」であり、その哲学は「言葉や数字で表せない本質を探究する」「対話(相互学習)の場をつくる」「即座に答える技術ではなく、じっくり向き合える場をつくる」「新しい発想や着眼点をもつ」だった。
津屋崎では、とことんダイアローグ(対話)とファシリテーション(話の促進の方法)を学んだが、その学びのなかから既存の教育機関では学び得ない「生きる哲学」を学べる場が必要だと痛感していたし、何かしら、そこに自分の居場所や出番があるような気もしていた。寄附は一口50万円(×12 人の旦那=600万円/建替え費用)右から左の簡単な金額ではないが、出せない金額でもない(年金生活の今なら無理か?)。思い切って旦那衆の1人に加えていただくこととなった。これは僕の人生のなかでも極めて有意義なお金の使い方だったと、意味の学校が開かれるたびに思ったし、意味の学校の折に旦那衆として紹介されるのも、どこか誇らしかった。また大切なサードプレイス津屋崎になにがしかの足跡が残せたことも大きな喜びだった。
(僕が主催した講座は以下の通りである)
平成25年(2013)4.6 美しさと経済の狭間で人は何を思い、選ぶのか
~広島県鞆の浦を事例に~
平成26年(2014)4.20 つながりによる新しい地域づくりのカタチ
~森の篠栗町長、海の津屋崎で語る~ ゲスト:三浦正/篠栗町長
平成27年(2015)5.30 鞆の浦で、今、起きているコト
~宮崎駿さん、藻谷浩介さんらが応援する活動とは~
ゲスト:松居秀子/鞆まちづくり工房代表
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)
『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
https://azusashoin.shop-pro.jp/?pid=181693411