会長・社長のクビを切ったセコム創業者の飯田亮最高顧問(前)~「パナマ文書」に登場する大激震が誘発したのか?
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「セコムしてますか?」――。ご存知長嶋茂雄さんによるおなじみのキャッチフレーズである。そのセコム(株)でクーデターが起こった。4期連続で過去最高益の会長と社長のツートップが解職された。強権を発動したのは最高実力者で創業者の飯田亮氏(83)。「パナマ文書」が公表され、「セコム(課税逃れ)」していたことがバレてしまったあの大富豪だ。
解職理由は「前田会長が偉すぎた」
警備大手のセコムは5月11日の取締役会で前田修司会長(63)と伊藤博社長(64)を解職した。後任の社長には中山泰男常務(63)が昇格した。会長は空席となる。創業者で取締役最高顧問の飯田亮氏は留任する。
唐突なトップ交代劇。各メディアは「創業者の飯田氏の逆鱗に触れたお家騒動」と色めき立ったが、セキュリティ会社の機密保護は万全だ。箝口令が敷かれ、クーデター劇の舞台裏は一切漏れてこない。
メディアの窓口は、新社長の中山氏が一手に引き受けた。中山氏は日本銀行名古屋支店長、政策委員会室長などを歴任して退官。2007年にセコムの常務取締役に就任した。日銀が警備にセコムを使っている関係から、セコムは日銀の天下り先なのだ。
中山新社長は日本経済新聞(5月13日付)のインタビューで、創業者の飯田亮氏は解職に賛同したが「飯田氏主導ではない」と強調。「前田・伊藤体制の風通しの悪さに不満が出てやむを得ず襟を正した」と責任は2人にあるとの主張を展開した。飯田氏を前面に出すことはタブーなのだろう。
また、2人の解職は3月に発足した指名報酬委員会で決定し、取締役会で諮られ、11人中6人が手を挙げて決議されたことも明らかにした。しかし、委員会のメンバーの氏名や構成は非公表としている。解職正当化のための急ごしらえの委員会である感は否めない。
「前田氏は偉すぎた。自分の意見が正しいという前提で取締役の議論をコントロールしていた。セコムは自由闊達な会社だったが、前田氏の強さに前では、意見が言いにくく、議論の広がりや深みを欠くようになった」(中山新社長)
これがツートップをクビにした公式見解だ。最高実力者の飯田氏より「偉そうにしていたからクビ」にしたとしか聞こえてこない。
4期連続の最高益を達成しながらあっさりクビ
セコムの業績は好調だ。2016年3月期の連結売上高は前期比5%増の8,810億円、営業利益は4%増の1,285億円、純利益は2%増の770億円と4期連続で最高益となった。
好業績の功労者は前田修司氏。鹿児島県出身。早稲田大学理工学部金属工学科卒。1981年セコムに入社。技術者として開発に携わる。昇進を重ね2010年に社長に就任。技術畑出身で初の社長だ。14年に会長に就いた。
16年3月までの5年間で、売上高は34%増、営業利益は30%増。純利益は61%増。配当も85円から135円に引き上げたおり、株価は倍以上。業績は申し分ない。
伊藤博氏は茨城県出身。早稲田大学政経学部を卒業、1979年にセコムに入社。2012年に東京電力グループのデータセンター運営会社の買収を主導するなど、多角化を主導した。その実績が買われ、14年6月社長に就任した。
前田・伊藤両氏のツートップは、小型無人機「ドローン」使った世界初の防犯サービスを始めて話題になった。工場や店舗などの敷地内に設置したセンサーが不審者などを検知すると、ドローンが自律飛行して撮影する。
こうした実績を残しながら、2人はあっさりクビを切られた。セコムは、会長や社長が最高権力者ではないからだ。創業者の飯田亮氏が会長を退いた76年以降、社長は中山氏で10人目。40年間に10人社長が代わった。日替わりメニュー型の社長交代だ。
キングメーカーは、いわずと知れた最高顧問の飯田亮氏。会長・社長を超越した絶対君主として君臨した。社長はスゲ替え自由の使用人なのである。
「前田氏が偉すぎた」。中山新社長のこの発言は、セコムの内情を知る者にはリアリティーをもって迫ってくる。前田氏が好業績を背景に、飯田氏をしのぐ力をもつようになったことが、飯田氏の逆鱗に触れたと、受け取られたわけだ。
テレビ『ザ・ガードマン』のモデルとして社会的認知
セコムのセキュリティ(安全)という仕事はニュービジネスだった。創業者は取締役最高顧問の飯田亮氏。東京・日本橋の老舗酒問屋・(株)岡永商店(現・(株)岡永)の3代目、飯田紋治郎氏の五男坊として生まれた。根っからの湘南ボーイ。元都知事・石原慎太郎氏のデビュー作『太陽の季節』のモデルは、石原氏と湘南高校で同級だった飯田氏だと周辺は信じている。
湘南高校でラグビー部を創設してキャプテン。学習院大学でも珍しいアメリカンフットボール部をつくり主将になった。1956年に大学を卒業すると、家業の岡永商店に入った。
長男が岡永を継ぐことになり、兄弟たちはそれぞれ独立。次男は居酒屋天狗チェーンのテンアライド(株)を、三男は首都圏の食品スーパー、オーケー(株)を創業した。
1961年の冬、浅草の鳥鍋屋で、飯田氏は学生時代からの友人、戸田寿一氏(2014年、81歳で死去)と欧州帰りの航空会社の知人と3人で食事した。その席で知人が「欧州には警備を業務とする会社がある」と教えてくれた。日本にないビジネスだ。新しいもの好きの飯田氏は「これだ!」と独立を決断した。
62年7月、本邦初のセキュリティ会社、日本警備保障(株)(現・セコム(株))が発足。飯田氏は29歳、戸田氏と2人の警備員の計4人によるスタートだ。だが、仕事はゼロ。最初の契約は、創業4カ月後の、千代田区麹町の旅行代理店との巡回契約だった。
スプリングボードになったのは、64年10月の東京オリンピック。代々木の選手村の警備を受注し名を売った。65年4月から始まったTBS系テレビドラマ「ザ・ガードマン」のモデルになって、日本警備保障は一躍、人気企業に。宇津井健主演のテレビドラマは、40%を超える高視聴率を記録。警備業というニュービジネスが社会的に認知された。
創業以来、二人三脚で歩んできた飯田氏と戸田氏の2人は、97年取締役最高顧問に退いた。2人はセコムではアンタッチャブルな絶対的な存在なのだ。
4月からの新体制は2トップが続投
セコムは3月25日、新年度の執行役員体制を公表した。セコムは取締役と執行役員体制を採っている。取締役は会社の重要な事項を決定する役割を担う。執行役員は決まった事項を実践し、業務を行なうことに専念する。
前田修司氏は、執行役員を退任するが、代表取締役会長として取締役会を仕切る。伊藤博氏は代表取締役社長として執行役員のトップになる。前田氏が取締役会、伊藤氏が執行役員と役割分担が決まり、2トップ体制の継続が決まった。
4月1日新体制がスタートした。ところが1カ月がたった5月11日、突然、2トップがクビを切られた。なぜか。クーデター劇の最大のミステリーだ。
(つづく)
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