川崎老人ホーム転落殺人事件(10・終)~介護職員の光と影
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最終回 介護の世界に“光”はあるのか?
国際政治学者川由記子氏の実母(当時85歳、要介護5)が自宅介護時に頼んだ介護サービス業者の無責任な対応が、ついに「虐待沙汰」に発展する。「腰が痛い!」と叫ぶ母親を、帰宅した天川氏が発見。医師の診断では、「ぎっくり腰の酷い状態」。数カ所の痣を見つけたことから、監視カメラを設置。そこに母親を乱暴に扱うヘルパーの姿があった(「週刊文春」2015年12月10日号より)。
入所を予定していた施設が「Sアミーユ川崎幸町」であり、利用した訪問サービス業者も、ともに「Sアミーユ川崎幸町」の運営母体の1つである「メッセージ」の配下にあったことが判明した。
「Sアミーユ川崎幸町」の介護職員今井隼人が起こした3つの殺人事件は、こうした無責任な運営体質を持つ会社であることと無関係ではない。利益を優先させるために、多くの入所者を確保し、介護職員の人数を抑制(集まらない場合も)。給料の額を抑えた。いかに劣悪な環境が生じようとも、“事件”が発覚しなければいい。だが、その忌まわしい“事件”が起きてしまったのだ。37年前、私は母の介護のために故郷に帰り、入院させた老人病棟に毎日通った。しかし家族との絆が薄れた今、「胃ろう」の手術と、認知症診断を医者に懇願する家族が増えたという。特養への入所条件(要介護3以上)整え、入所順番を早めるためだ。こうした家族は入所後、面会にも行かない。「姥捨て山」として施設を利用する家族が確実にいる。
「Sアミーユ川崎幸町」で起きたさまざまな“事件”は、氷山の一角だろう。“見えない事件”の陰には不実な家族がおり、そのことが無責任な施設の運営体質を増長させる温床にもなっている。介護職員の待遇が一向に改善されず、保育士の待遇改善ばかりが声高に叫ばれるのは、国家資格の有無ばかりでもないような気がする。
高齢者に対し、「生産性もなく、人生を終えた、手のかかる生きもの」という潜在的な考え方がある。それゆえ罪悪感もなく「金儲けのツール」として高齢者を“収容”する施設業者も出てくる。財政的裏付けに窮した国は、「地域包括ケアシステム」を強引に押し進め、できるだけ自宅で介護する方針に転換した。そのために介護離職者の増加に歯止めがかからず、職場復帰もままならない状態が、今後も確実に続く。
「人の温もりを感じさせる介護」「被介護者の尊厳」というお題目と現実とは、限りなく乖離し始めている。もはや「お年寄りの介護に生き甲斐を感じている」という看護職員は、マイノリティーだろう。「介護ロボット」という分野を懐疑的に見ていたが、どうやら介護職員の不足分を「文句を言わない人造人間」に委ねるときが来たと考えるべきなのかもしれない。ただ、どうしてもロボットに介護されている自分をイメージすることができないし、したくない自分に困惑している。
プチバブル世代が崩壊し、「日本全国総貧困」時代。家族と地域だけで重度の要介護者を看る国の施策の先に、介護職員の“光”が見えてくるとも思えない。(了)
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