介護、カラオケ、飲食の三本柱で利用者の笑顔をつくり続ける(前)
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(株)ウチヤマホールディングス
米穀店から東証一部へ
「介護のウチヤマ」。このようなイメージを持っている方も多くいるだろう。しかし、かつては「米のウチヤマ」だったのである。北九州市の内山米穀店という、街のお米屋さんが内山文治社長の生家の家業だった。内山社長が20歳のとき、先代が体を壊したために家業を継ぐことになった。
継いだからには日本一の米屋を目指そう。年中無休で身を粉にして内山社長は働き、仕事を通じて多くの気付きがあった。第一の転機は本店、支店が道路整備のために買収されたことだ。店の売却で得たお金で初めて賃貸マンションを建築した。内山社長が29歳の頃だ。貸しビル業をはじめとする不動産ビジネスに乗り出したのである。1971年に内山ビル(株)を設立し、貸しビル業を本格化させた。米屋で学んだ商売の基本、「どうやったらお客さまに喜んでもらえるか」を応用し、不動産事業を極める道を突き進んでいった。
順調に事業が続いていくかと思われていたなか、不動産の道は突如、険しさを増すことになった。バブル崩壊で一気に風向きが変わったのだ。その危機をビルの賃貸収入と、当時、先駆け的に始めていたカラオケ事業の収入とで何とか乗り切った。そこで多角な事業が持つ柔軟性が重要だと考えるようになった。何に取り組んでいくかを考え、そして、飲食業にも挑戦していった。すべての規範は喜んでもらうためにどうしたらよいかという1点である。住む場所が便利なら、毎日の暮らしが楽になる。笑顔で歌を歌うと幸せを感じてもらえる。おいしいものを食べたら笑顔になる。それが内山社長の商売の原点なのだ。
第二の転機は介護事業を開始した98年だ。米穀店を手がけていた頃、配達先で高齢者の生活を目の当たりにしていた。「何とか手助けできないか」。内山社長はこの思いを抱き続けていたのだ。そして98年、私財を投じて社会福祉法人「八健会」を設立、ケアハウスの運営を開始した。2000年には社会福祉法人「さわやか会」の理事長に就任し、介護事業に本格的に取り組むようになった。03年、内山ビル(株)で介護付有料老人ホームおよびデイサービス併設施設「さわやかパークサイド新川」を開所し、株式会社での介護事業に乗り出した。グループ会社を数多く設けていたことから、06年、相互にシナジーのあるグループ企業としてのメリットの最大化を図るため、持ち株会社の(株)ウチヤマホールディングスを設立した。組織的な運営で効率化を追求、12年にはジャスダックへの株式公開を果たす。翌13年には東証二部に市場変更、14年には東証一部の指定を受けることとなった。
「社会に役立つ会社として人の笑顔のために努力を続けていく」と内山社長は笑顔で語った。(つづく)
<COMPANY INFORMATION>
代 表:内山 文治
所在地:北九州市小倉北区熊本2-10-10 内山第20ビル1F
設 立:2006年10月
資本金:22億2,293万円
TEL:093-551-0002
URL:http://www.uchiyama-gr.jp<プロフィール>
内山 文治
1941年生まれ。北九州市出身。20歳で内山米穀店を継ぎ不動産、カラオケ、飲食、介護と事業の幅を広げ、2012年にJASDAQ上場。14年には東証一部に市場変更を果たす。座右の銘は「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」。法人名
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