2024年11月23日( 土 )

大人として、デモクラティックに生きる!(2)

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専修大学法学部 教授 岡田 憲治 氏

出来は悪いが、憎みきれない友人や身内

 ――民主主義(デモクラシー)とは先生にとってどのような存在なのでしょうか。

hitogomi 岡田 たまたま高校時代に手渡された英語の教科書が哲学者バートランド・ラッセルの『民主主義とは何か』(成美堂、1961年)でした。17歳の高校生から今まで35年以上も、民主主義について考え続けています。その上で申し上げるとすれば、私にとって民主主義は、「出来は悪いが、憎みきれない、友人や身内」ということになります。

 イギリスの首相W・チャーチルの有名な言葉に、「デモクラシーは、これまで試みられた他の統治形態を除けば、最悪の統治形態であると言われている」というものがあります。古代ギリシャの時代から幾種類もの統治形態が議論されて来た中で、唯一デモクラシーだけが謳っているのが「政治的平等」の理念です。「人間は個別具体的に存在するが、その具体的なあり方を理由に、各々の政治的な資質やそのたたずまいの有効性の根拠とすることはできない」、つまり「人間は平等に扱われなければならない」のであり、そして、「人間は皆、それを主張していい」ということです。

人間は皆例外なく間違いを犯してしまうものだ

 岡田 この考えの根底には、「人間は皆例外なく、不注意も、早合点もして、間違いを犯してしまうものだ」という共通理解があります。仮に民主主義の出来が悪いとすれば、それは私たち人間が出来の悪いことの投影でもあります。最近では「生活保護世帯に関する炎上事件」など、自分を安全地帯において、他人をバッシングする事件が続発しています。

 日本では、高度経済成長の手法に陰りが見えた1974年の田中内閣の時が「福祉元年」と
言われています。それからまだ半世紀しか経っていません。つまり、国民が共存、共生していくという成熟した議論が展開できていないことがこの背景にあります。たとえば、いまだに私たちの社会には「勤労の美徳との交換関係がなければ平等は主張できない」という悪しき思考の習慣があるのです。

すべての人間は平等に扱われなければならない

 岡田 しかし、自分自身が明日生活保護を受ける立場に陥ること、障害者になることはすべての国民に例外なくあることです。たとえば、加齢というのは、人間が、生物学的に言えば、障害者になっていくことを意味しています。その意味でも、すべての人間は弱き者として平等
に扱われなければならないのです。この根源的な理念が理解されていないと、民主主義の基盤が脆弱となります。
 そして民主政治では、自分の生活や人生に直接あるいは間接的に影響を与えるような決め事に対しては、直接もしくは間接的に物申す根源的な権利が平等に与えられているということが前提です。はたして、このことが日本の社会で、どれだけ共有されているでしょうか?

「民意」はなく「民意解釈」があるだけです

 ――話題を現実の政治の話に切り替えます。先の参議院選挙では改憲派の勢力が3分の2を占めるに至りました。そのため、安倍首相は選挙直後の記者会見で早速、選挙戦では全く争点にならなかった「憲法改正」について言及しています。最近の一連の政治の動きを先生はどうご覧になっていますか。

 岡田 選挙には連勝していますが、実質的には極めて非民主主義的なやり方だと思っています。それは、選挙で示された多数決とはあくまでも「暫定的気圧計測」だからです。原理的には「どっちの方が相対的に多くの人たちの気持ちに近いのか」を測定するいろいろある測定方法の1つに過ぎません。「民意」は、現在の世の中では実体として存在していません。いろいろな意見が散在しているだけで、トータルとしての「民意」などはありません。そういう風に暫定的に受け止めておこうという「民意解釈」があるだけなのです。

 現在の安倍首相の支持率は62%で自民党の支持率は約35%という報道がされています。しかし、その中味は「とくに理由はないが大きな問題も起こっていないので」や「他の野党に魅力がないので」というものが大半を占めています。遡れば、2014年の第47回衆議院選挙でも自民党は勝ちました。しかし、比例区で自民党と書いた有権者は17%に過ぎませんでした。有権者は「安倍首相の考えに基づく政治パッケージ」に白紙委任しているわけではないのです。また、「多数決にこそ正義がある」ことは誰も確定も保証も与えられません。

「お話が違いませんか」は、自然な反応です

 岡田 ここからは小学生でもわかるシンプルな話です。争点にならなかった憲法改正をしたいのであれば、「憲法改正」というテーマで、別個に「気圧計測」をして頂く必要があります。そして、丁寧に国民の合意を形成して頂かなければなりません。

 「憲法改正」は、その国の統治構造に関わる重要な問題です。そして、選挙前には、国民的議論を全くやらずに、国民の信を問うこともしていません。ところが、選挙で勝ったので、「後は勝手にやらせてもらいますよ!」というのは、国民からすれば、「それは、少しお話が違いませんか!あなた方は“アベノミクスはどうでしょう?”と問うたではありませんか?」と考えるのはごく自然な反応です。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
okada_pr岡田 憲治(おかだ・けんじ)
1962年、東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)専修大学法学部教授。研究対象は、現代デモクラシー思想、民主政治体制、関心領域は、民主政の基礎条件、アジア・太平洋戦争史。著書に『権利としてのデモクラシー』(勁草書房)、『言葉が足りないとサルになる』、『静かに「政治」の話を続けよう』(いずれも亜紀書房)、『働く大人の教養課程』(実務教育出版)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)
『デモクラシーは、仁義である』(角川新書)、共著として『「踊り場」日本論』(晶文社)など多数。

 
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