汚染地豊洲移転・盛り土偽装はすべて石原都政
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NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は、豊洲新市場への移転に関連する一連の問題で、これらの問題はすべて石原慎太郎都知事の時代に起こったものだと言及した、9月21日付の記事を紹介する。
築地、豊洲、東京汚リンピック、ゼネコン、利権政治屋――これらは一気通貫でつながる事項である。
汚染物質まみれの普通には使いようのない土地。これを「お上」が高値で買い取ってくれるなら「売り主」は儲けもの。「売却話」を仕切ってくれた「政治屋」に巨大な「金封」を差し出しても十分におつりがくる。
「築地」というのは「汐留」の隣接地。「築地」の「市場」が消滅して、「築地」が「ビジネスセンター」として「汐留」と合体すれば、「汐留・築地地区」が「巨大ビジネスセンター」として価値は激増。「大手町」に匹敵する「巨大ビジネスセンター」に昇格する。
「ゼネコン」はどこでもいい。「巨大ビジネス」が転がり込んで来れば、「濡れ手に粟」だ。「入札」と言っても、形だけの入札で、予定価格ピッタリの札を入れての落札は、いわゆる「談合」。取り仕切ってくれた「政治屋」さまに巨大な「金封」を包んでも、十分におつりがくる。これらを仕切る「政治屋」にとって、こんなにうまい話はそうざらにはない。
「築地」は「築地」だから、市場は「築地」で再整備するのが筋。当初は「移転反対」の業者が多かったが、多くの業者がいつのころからかおとなしくなった。「新銀行東京」が絡んでいる。
「築地」を移転する方針が定められたのは1999年。移転先は「豊洲」となったのは2001年。環境基準の4万3,000倍のベンゼンが検出されたのは2008年5月。豊洲新市場整備方針が決定されたのは2009年2月。このときは「盛り土」実施方針だった。
「盛り土」が「地下空間」に入れ替わったのは2011年3月から6月の間である。当初は、盛り土の上に「高床式」施設が建設されるはずだった。これが、「盛り土」部分に「地下空間」を作り「高床式」にしない設計に変貌した。2011年6月のことだ。
豊洲汚染地の売買が行われたのは2011年3月。1,859億円が東京都から東京ガスおよび関連会社に支払われた。しかし、「汚染地」であるから「汚染対策」が必要になる。東京ガスは汚染対策費の100億円と追加費用負担78億円を支払った。しかし、汚染対策はこの金額では実現せず、東京都がさらに849億円も投入した。
2011年3月と言えば、あの原発事故と東日本大震災が発生した、まさにその時である。埋立地では「液状化」現象が発生した。実際、豊洲新市場敷地においても、百数箇所で液状化が発生したと報じられている。
このなかで、東京都は土地売買を実行してしまった。しかも、東京ガスが負担した汚染対策費はその後の実費をはるかに下回る金額である。「不正売買」で東京都が損失を蒙ったとして訴訟も提起されている。
築地、移転、豊洲、土地売買、「盛り土」から「地下空間」への変化、のすべては、1999年から2011年までの間に生じたことである。この期間、東京都知事の地位にいた者は誰か。
答えは、石原慎太郎氏である。
石原氏は1999年4月から2012年10月まで東京都知事の地位にあった。築地移転、豊洲決定、土地売買、「盛り土」から「地下空間」への変身は、すべて石原氏の都知事時代に発生した事象である。
一連の事象の本質を洞察する「カギ」は、これらの事象で「利益を得たのは誰か」という視点にある。※続きは9月21日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第1545号「築地・豊洲・汐留と五輪利権をつなぐ点と線」で。
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