2024年12月18日( 水 )

大空襲の直後に代表交代の怪~【続報】乗っ取られた昭和自動車!?

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 これまで5回にわたって、昭和自動車(株)(本社:佐賀県唐津市、金子晴信代表)が現在抱えている訴訟の過程で判明した、“乗っ取り”と思われる問題について報じてきた。
 記事では同社の中興の祖であり、昭和グループの創始者である故・金子道雄氏が、終戦直後に3回にわたる不可解な増資および新株発行を行い、創業家である青木家から昭和自動車の支配権を奪取したと疑われる事案について触れてきた。

 だが、それだけではなく、金子道雄氏が昭和自動車の代表に就任した時期についても、不自然と言わざるを得ない部分があることがわかった。

 金子道雄氏が昭和自動車の代表取締役に就任したのは、1945年7月25日のこと。このとき同時に、青木省二郎氏が代表取締役を辞任し、取締役会長に就任している。
 だが、この7月25日というのは、約1カ月後の8月15日に終戦を迎えたことからもわかるように、太平洋戦争の末期であり本土決戦に向けての機運が高まっていた時期にあたる。しかも、遡ること約1カ月前の6月29日には、青木洋鉄商店のあった佐世保市で「佐世保大空襲」が起こっているのだ。

 「佐世保大空襲」では、6月28日の深夜11時50分頃から翌29日の深夜2時頃にかけて、佐世保市上空に飛来した100機を超えるB29が市街中心部一帯に大量の焼夷弾を投下。市内は一部を除きほぼ壊滅状態となり、罹災戸数は約1万2,000戸におよび、1,200人以上の犠牲者を出す大きな被害を受けた。

 そしてこの空襲により、実は青木洋鉄商店の建物も焼失しているのだ。

 そうした状況下で行われた代表交代。なぜ、このタイミングだったのか……。あまりにも不自然な代表交代と言わざるを得ない。

 この一連の問題をめぐっては、まだまだ明るみになっていない事実がありそうだ。

【坂田 憲治】

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乗っ取られた昭和自動車!?(1)~訴訟過程で明らかになった約70年前の因縁
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