三越伊勢丹HD社長の解任、百貨店のお家騒動史(後)
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メーンバンクと対立した伊勢丹のおぼっちゃま社長
伊勢丹の社長交代劇は、三越のような劇的さはない。1993年5月、創業家の4代目、小菅国安社長はメーンバンクと対立して伊勢丹を追われた。
38歳の若さで社長に就いた4代目当主の小菅国安氏は、「今ある伊勢丹のすべてを否定する」ことから始めた。小泉純一郎元首相のように「古い伊勢丹をぶっ壊す」と叫んだのである。だが、国安氏がぶち壊した最大のものは、メーンバンク(株)三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)との信頼関係だった。
それまで取引がなかった(株)三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)と株式を持ち合った。国安氏が三和銀行に接近したのは、自分が立てた事業計画に三菱銀行が口を出すことに反発したからだという。4代目は、三菱銀行と三和銀行と競わせて、自分が主導権を握ろうとした。しかし、これが完全に裏目に出た。三菱銀行は激怒し、両者の関係は悪化した。その渦中に持ち上がったのが、不動産会社秀和(株)による伊勢丹株の買い占めだ。
秀和が筆頭株主になっても、国安氏は秀和のオーナー小林茂氏と会おうとしなかった。見るに見かねた三菱銀行の伊夫伎(いぶき)一雄会長(当時)が国安氏に忠告したが、「余計なことを言わないでくれ」と反発した。さらに国安氏は株買い取りの仲介を、三和銀行に依頼して、三菱銀行の不興を買った。三菱銀行と伊勢丹の役員が国安氏に見切りをつけたのは、秀和が買い占めた伊勢丹株を(株)イトーヨーカ堂に転売しようとしたことが発覚したからだ。そんなことをしたら、大手スーパーのイトーヨーカ堂に伊勢丹に買収されかねない最悪の事態に陥る。
これで国安氏を味方する取締役は1人もいなくなった。四面楚歌のなか、4代目当主のおぼっちゃま社長は伊勢丹を石もて追われた。創業以来、107年におよぶ小菅家による伊勢丹支配は終止符を打たれたのである。
「徳川家でさえ15代なのに、伊藤家は17代」
名古屋が地盤の(株)松坂屋(現・(株)大丸松坂屋百貨店)で、1980年に社長の伊藤鈴三郎氏を兄で会長の伊藤次郎左衛門氏(16代当主)が追い落す「宮廷革命」を経て、次郎左衛門氏の息子、伊藤洋太郎氏(のちの17代当主)が社長に就いた。
16代が亡くなると、鈴三郎氏の大番頭だった副社長の鈴木正雄氏がクーデターを決行。85年4月の臨時取締役会で洋太郎氏を解任し、鈴木氏が社長に就いた。洋太郎氏は、この決議は無効だとして社長室に籠城。2人社長という異常事態に陥った。
メーンバンク(株)東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の三宅重光会長(当時)の調停で勝負は決まった。「経営は洋太郎氏では無理」と鈴木氏に軍配を上げた。このとき、鈴木氏が吐いた有名な言葉が残っている。「徳川家さえ15代なのに、伊藤家は17代」。世間は藩主を座敷牢に閉じ込めてお家の乗っ取りに成功した家老の、不遜な言動と受け止めた。織田信長の近習を始祖とする伊藤家による松坂屋の支配は、17代で終わった。
このように、お家騒動の際に経営者に引導を渡してきたのがメーンバンクだった。三越伊勢丹HDもまたしかりだ。
(了)
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