2024年11月05日( 火 )

スポーツ学部に強み見せるも、経済学部は定員割れ続く(前)

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九州共立大学

 少子化が加速するなかで、スポーツ学部の活躍などで差別化を図ってきた九州共立大学。ところが、運営する(学)福原学園の前理事長で九州共立大学の学長も務めていた福原弘之氏が2015年死去。現在は、学校法人理事長を福原公子氏が務め集団指導体制を敷く。経済学部の定員割れが続いており16年1月には経済学科を廃科した。

スポーツ学部でプロ野球選手を続々輩出

 九州共立大学を運営する(学)福原学園は、ほかにも九州女子大学、九州女子短期大学、自由ケ丘高校、女子大付属幼稚園3園を運営している。九州共立大学の開校は高校や女子大より後になるが、かつては理系学科を設置して構える総合大学として人材育成を担ってきた。

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 とくにスポーツに熱心で2006年にはスポーツ学部を設立した。西日本屈指といわれるほど施設を充実させ、優秀な人材の受け入れ態勢を整えた。なかでも野球はよく知られ、輩出したプロ野球選手は常勝福岡ソフトバンクホークスの礎を築いた新垣渚投手、馬原孝浩投手、現役でも大瀬良大地投手(広島)などそうそうたる顔ぶれが並ぶ。体操にも熱心に取り組み、アテネオリンピックで金メダルを獲得した中野大輔選手も同校の出身だ。

 しかし、2000年代に入り工学部で苦戦を余儀なくされる。打開に向け電気工学科の電気電子情報学科への変更を皮切りに環境サイエンス科、生命物質科など時代に即した学科の設置を行った。しかし、10年に機械工学科など3学科を廃科。11年には大学院工学研究科および建築学科など3学科を廃科。12年にも情報学科を廃科して、13年に工学部自体を廃止することになった。文系においても、経済学部2学科を統合し16年1月に経済学科が廃科となった。一方で、高い知名度を有するスポーツ学科は定員を超える学生を確保している状況だ。

次の旗振り役は

 創立者で初代理事長の福原軍造氏は元小学校教師で、昭和初期に当時の詰め込み教育に危機感を持ったことから学校設立を決意。戦時中に浅野セメントから用地を取得、47年に福原高等学院を開校。その後、「情操豊かな調和のとれた人材育成」を目指し九州女子短大、九州女子大、そして九州共立大と次々と学校を設立していった。
 前理事長福原弘之氏はスポーツ学部を創立した翌年の07年に理事長に就任。鞍手幼稚園の開園を手がけたほか、少子化が進行するなかでグループ強化を図ってきた。しかし、15年6月に弘之氏が病気に倒れた。開校50周年を迎え今後の飛躍が期待されるタイミングで、求心力あるリーダーを失ったのは大きな痛手だった。

人口減に悩む地方都市のハンデも

 北九州市・八幡西区には九州国際大学もキャンパスを構えている。共立大同様に私学で付属高校を保有するなど類似点がある。同校は旧八幡大学から校名を変更して国際的な人材育成を打ち出す一方、歴史ある法科のテコ入れ、さらには予備校との連携による公務員試験への対応など、実務的な体制を整えるなど次々と手を打っている。しかし同校も定員割れが発生している。「優秀な学生は中央や福岡に流れている」(OB)というのが実情だ。北九州市は人口減も進んでおり、公立の北九州市立大学も安閑とはしていられない。少子化は、地方大学にとってより深刻な環境を生み出している。

(つづく)

【鹿島 譲二】

<INFORMATION>
学 長:奥田 俊博
所在地:北九州市八幡西区自由ケ丘1-8
設 立:1965年4月
基本金:550億3,656万円
教育活動収入:(16/3)67億1,059万円(福原学園)

 

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