2024年12月27日( 金 )

メディアを「生態系」として捉えるネット社会(2)

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関西大学総合情報学部特任教授 松林 薫 氏

ネット社会では流通の鍵を握っているのは市民

 ――ネット社会では「情報の配信」(流通)ばかりでなく「情報の作成」についても、市民が知らず知らずのうちに担っていたとは驚きです。

 松林 ネット社会では、情報がきちんと、たくさんの人に届くかどうかの流通の鍵を握っているのは、実は「市民」の側になっています。このことは一方で、かつてはプロや研究者の責任として完結していた「良い情報をどう広めていくのか、悪い情報が広まらないためにはどうすべきか」などということを市民も考えなければいけなくなったことを意味します。市民が望んだわけではないと思いますが、ネット社会では、いつのまにかそうなってしまったのです。どこまで発信するかを考えるスキルを市民も身につけなければいけない時代になったということです。

新しい報道を一般の人がやっていることになる

 「情報の作成」にも一般市民が関わってくることになりました。「ある読者がコメントした内容と一次報道(新聞社、TV局などの記者が作成した記事)」がセットとなって、1つのコンテンツとして別の読者に読まれています。ブログも同様です。自分で取材して記事を書いている人はごく少数です。多くは、新聞やTV局が報じた記事について、自分の意見を書き、自分の経験に照らし合わせ論評しています。これは、新聞、TVの報道をベースに新しい報道を一般の人がやっていることに他なりません。

 これまでプロの間でだけで議論してきた問題、例えば「人権に配慮した報道とはどうあるべきか」などが、一般市民の間でも議論されなければいけなくなったのです。

信頼性のある機関の発信する情報だけを信じる

 ――同じネットニュースとして私たちの前に現れる「新聞」、「雑誌」、「民放テレビ局」、「NHK」、「ネット専業メディア」、「個人のブログ」など玉石混交ともいえる情報に私たちはどう向き合っていけばいいのでしょうか。

 松林 その問題を議論していくためには、「個人レベルでどう対処していくのか」と「社会問題としてどう対処していくのか」の大きく2つに分けて考えていく必要があります。今一般に行われている議論の多くはこの2つが混同されています。

 まず「個人レベルでどう対処していくのか」という問題です。この問題で、対処の必要性を感じている人のほとんどは「そもそも客観的事実はどうなのか、騙されないようにしたい」という気持ちを持っていると思います。この答えは簡単で、信頼性のある組織から発信されている情報だけを信じるようにすればよいのです。

 事実(ファクト)部分について信用してもよいと思う資料として、
 1.役所や公的機関の作成した文書
 2.金融機関や大手シンクタンクの作成した資料
 3.一般紙の新聞記事
 4.学術書や学術論文
 5.版を重ね、専門家にも引用されている書籍
 などを挙げることができます。

 誤解していただきたくないのは、私はこれらの機関の発する情報を鵜呑みにせよと申し上げているわけではありません。その機関の政治的立場などを踏まえ、割り引いて読んだ方がいい場合もあると思います。ただ、こうした機関の情報は、事実(ファクト)部分の正確性については組織的チェックを何重にも経て発表されている場合がほとんどです。これらの機関の情報をどれか1つだけではなく、複数組み合わせて使えば、そんなに、ひどい目に遭うことはないのではないかと思います。

キュレ―ションサイトの見方には注意が必要です

 ただし、今は新聞、雑誌、民放テレビ局、NHK、ネット専業メディア、個人のブログなどの情報がすべて同じサイト上に載っているので注意が必要です。学生や若者の日常会話で「その情報はヤフーニュース(キュレ―ションサイト)に載っていた」というのがあります。この表現は情報の信頼性(ファクト部分)の観点から申し上げれば、ある意味正しくありません。正しくは「ヤフーニュースで、A新聞社が発信していた」とか「ヤフーニュースで、個人Xのブログを読んだ」と表現する必要があるのです。なぜならば、その出自によって情報の信頼性が大きく異なるからです。この混同は、ある年代から上の人にとっては驚愕の事実です。しかし、今の学生や若者にとってはごく普通に行われています。

正しい事実の掲載と報道機関の中立公平は別問題

 上記の話と関連して少し付け加えさせていただかなければならないことがあります。このことは本日の私の話を貫いてもっとも重要なことです。それは「正しい事実(ファクト)が掲載されていること」と「その報道機関が中立公平を保っていること」とは必ずしも一致しないと言うことです。さらに言えば、メディアは純粋に「中立公平」であることはできません。ある人にとっては「中立公平」であっても、異なる意見を持つ人から見れば必ず「偏向報道」になるからです。それは程度の差はあれ、報道が避けては通れない宿命といえます。

(つづく)
【金木 亮憲】

<プロフィール>
松林 薫(まつばやし・かおる)
1973年広島市生まれ。京都大学経済学部、同修士課程を修了後、99年に日本経済新聞社に入社。東京と大阪の経済部で、金融・証券、年金、少子化問題、エネルギー、財界などを担当、経済解説部で「経済教室」や「やさしい経済学」の編集も手がける。14年10月に退社。同年11月に株式会社報道イノベーション研究所を設立し、代表取締役に就任。16年4月より関西大学総合情報学部特任教授(ネットジャーナリズム論)。
著書として『新聞の正しい読み方 情報のプロはこう読んでいる!』(NTT出版)、『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』(晶文社)。共著として『けいざい心理学!』、『環境技術で世界に挑む』、『アベノミクスを考える』(電子書籍)(以上、日本経済新聞社)など多数。

 
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