2024年11月27日( 水 )

「浙江自由貿易区」舟山市へ

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 浙江省舟山市長の温暖氏にお会いしたのは、舟山の「浙江自貿区」批准の一週間後のことであった。70代後半の市長は「舟山両会」に忙しく、国内外の客の接待に追われていた。そのなかには私のように故郷に帰って「両会」の故郷代表として参加する者も含まれる。

ボーイング社海外初の工場を建設

 私はまず温暖市長に次のような質問をした。浙江自貿区は今後どのように建設するのか。またボーイングのプロジェクトに変更はあるのかどうか。昨年、ボーイング社は海外初の工場建設の調印を正式に行った。舟山の人々は「我々は船だけでなく、これからは飛行機も作れる!」と大いに喜んだ。

 ボーイング社が海外に第一号の工場を建設するにあたって、その条件は非常に厳格で、内容は100項目以上にわたっている。例えば都市の国際化率、緑化率、治安率、PM2.5率、協会や国際クリニック、インターナショナルスクール、バーがあるかどうかなどである。結果舟山は西安、瀋陽など国内の大都市数か所との激しい競争に勝った。少なくとも環境はシアトルに似ている。舟山は国際的に過酷な競争の中で勝利したのだ。ボーイングの視察団は「投資環境が本当に素晴らしい」と感想を述べている。

 さらに温暖市長に質問した。心配なのはトランプ大統領の気まぐれな気分だと。しかし市長は次のように語った。「ボーイングのプロジェクトは米中両国政府が決定したことだ。変わることはあり得ない。」私が舟山に到着したその日、ボーイング社と中国商飛公司、中国政府の関係部門の高官たちが舟山市で会議を行い、工場の最終的な設計図を審議し、建設開始日時を決定した。計画によると、ボーイング737の第一号機は来年の末までに、舟山の朱家尖島から納品のために飛び立つ予定だという。実際には工場の建設期間は1年を切っている。

 ボーイング社工場の建設により、舟山が自由貿易区の権限を持つことが必要となる。
 舟山市が中央から特別待遇を受けたのは今回が初めてではない。2012年には「浙江群島新区」の批准を受け、それまでの上海浦東新区、天津浜海新区、重慶両江新区などはすべて「市中区」であったのに対し、舟山新区のみが舟山市全域が新区の範囲となった。

イギリス人が舟山を租借要求の歴史

 170年前のアヘン戦争時、イギリス人が舟山を占拠したが、この島が山紫水明であり、しかも揚子江の河口にあって中国の南北の航路を分断することが可能であることを発見した。そこで清国政府に対し、舟山の租借を要求した。当時の行程である道光帝は、肝は小さいが決して愚かな皇帝ではなかった。彼は決して租借に応じなかった。舟山は当時一つ県であり、「定海県」と呼ばれ寧波府が管理していた。

 最終的に道光帝は珠江口の香港をイギリスに租借することにした。というのも当時の香港はわずか10数戸の漁民が住む小さな島に過ぎなかったからだ。百数十年後香港が返還された時、香港特別行政区の区長は舟山籍の董建華氏であったことは興味深い。最近更に舟山籍の才媛、林鄭月娥女史が香港行政長官に選出された。それゆえ舟山の人々は「舟山と香港は縁がある。我々の普陀山の観音菩薩のおかげだ」とよく口にする。

 鄧小平氏は当時「さらに数か所の香港を建設する」ことを考えていた。後になって深センと浦東が出現したがこれらの特区新区は、いずれも香港のような特殊な地理的な環境はなく、「香港」になるのは難しかった。

 舟山新区は批准前に「東海前哨」と呼ばれた。当時、全国を挙げて舟山に海上軍事要塞を建設したのは、日本の侵略を防ぐためではなく、蒋介石の大陸反攻から防護するためであった。蒋介石は寧波人であり、大陸を離れる時、舟山から出たのであった。この「東海前哨」であることで、舟山の発展は制約を受けてきた。

習近平主席 150回も視察に

 舟山は大変小さく、人口もわずか100万人に過ぎない。10数年前、舟山は島と大陸をつなぐ会場大橋の建設を提案した。しかしある官僚は「100億元(約1600億円)も使って100万人の問題を解決するなんて話にならない」と取り合わなかった。後になって浙江省委員会書記の習近平氏がこれを聞いて「舟山に海上大橋を建設するのは貧困救済のためではなく、海洋経済発展の国家的大プロジェクトとして重要な意義がある」とした。そして全長50キロ余りの海上大橋が舟山と寧波を繋ぎ、舟山は半島になった。舟山の海上大橋建設は中国の海洋経済発展の重要な戦略の一つとなった。

 現在舟山の人々は幸福感に浸っている。誰も関心を持たなかった群島地区が「舟山新区」に変身した。わずか4年余りで「中国(浙江)自由貿易区」になり、まるで幸福の雨が舟山の人々に降り注いだように感じている。

3年後は「自由貿易港区」に

 中国政府は浙江自由貿易区の発展により「東部地区会場の開放模範地区、国際大型商品貿易自由化先導区、また国際的な影響力を持つ資源配置基地」となるよう目標を定めている。しかし、中央が舟山に与えた具体的な任務は、3年間で浙江自貿区が「浙江舟山自由貿易港区」にレベルアップし、世界レベルの主要な大型商品交易センター、物流センター、情報センターとなることである。これは「第二の香港」の建設である。

 ボーイング社の工場の他に、現在舟山が引き継ぐべき国家戦略プロジェクトは「緑色石化基地」と「江海運送サービスセンター」の建設である。緑色石化基地は魚山島鎮に建設するが、面積40平方キロで、建設後は世界最大の石化基地となる。中国の多くの石化原料は長期にわたって輸入に頼ってきたが、国際市場のコントロールで難局にあった状況を一変することになる。また「江海運送サービスセンター」は揚子江と東海、太平洋をつなぐ物流大動脈を作り、中国が「世界貿易大国」となる物流枢軸センターとなる。

 温暖市長は、舟山の目標は二つだと私に断言した。一つは自由貿易港区となること、もう一つは会場花園都市の建設だという。

 しかし、舟山の人の幸福感の中には焦燥も満ちている。これは人材不足が原因だ。今回私は浙江大学舟山校区、浙江海洋大学、浙江旅游健康大学、舟山技師学院を訪問したが、人材育成のスピードが遅く、内容も十分とは言えない。「人口100万の都市でこのように多くのプロジェクトを完成するには、ハイテク技術を備えた幹部を含む人材が必要だ。地方出身の幹部が自貿区を建設維持することは大変な責任だ。我々は懸命に学び、懸命に行動するしかない。来年にはボーイングの飛行機第一号が飛び立つが、これは夢ではない現実の話だ」と舟山市党委員会組織部長の張明超氏が話してくれた。

 ここ数年、中国の青空ランキングで舟山は海口とトップを争っている。私が舟山を好きな理由は、将来性が大きいということのみならず、砂浜があり、観音菩薩があり、さらに豊富な回線、特に決して食べ飽きないカニがあることだ。私はよく冗談で周囲の人に、「雄安新区」にばかり注目しないで舟山もしっかり見るべきだと言っている。

<プロフィール>
jo_pr徐 静波(じょ せいは)
政治・経済ジャーナリスト。(株)アジア通信社社長兼『中国経済新聞』編集長。中国浙江省生まれ。1992年に来日し、東海大学大学院に留学。2000年にアジア通信社を設立し、翌年『中国経済新聞』を創刊。09年に、中国ニュースサイト『日本新聞網』を創刊。著書に『株式会社 中華人民共和国』(PHP)、『2023年の中国』など多数。訳書に『一勝九敗』(柳井正著、北京と台湾で出版)など多数。日本記者クラブ会員。経団連、日本商工会議所、日本新聞協会等で講演、早稲田大学特別非常勤講師も歴任。

 

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