呉・大和ミュージアム視察レポート(中)
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かつて軍都として栄えた呉は、戦後になると高度経済成長期の日本を支えた造船業の街として第二の栄光を経験する。そして今日、呉の街をにぎわせるのは軍人でもビジネスマンでもなく、観光客の姿だ。呉・広島・岩国観光圏の起爆剤となった、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の現状を視察した。
初年度入場者、161万人。開館10年での累計入場者数、1,084万人。さすがに九州国立博物館(初年度220万人、7年で1,000万人突破)にはおよばないものの、地方都市の市立博物館という成り立ちを考えると破格の存在であることがわかる。
最大の呼び物は、もちろんこの1/10スケールの戦艦大和だ。全長26.3メートル。学校にあるプールに浮かべることもできないほどの大きさ。写真でも、人物との対比でその大きさがわかるだろう。1/10戦艦大和はミュージアム1階に展示されているが、1階からではあまりの大きさにその全体像を見ることはできない。建物は吹き抜けになっており、2階、3階から見下ろすことではじめてその雄大な実像に触れることができる。
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館内には、1/10戦艦大和の他にも零式艦上戦闘機62型(いわゆるゼロ戦)や、人間魚雷回天、特殊潜航艇海龍などの実物が展示されている。また、大和や他の戦艦、巡洋艦で実際に使用されていた砲弾の一部もみることができる。
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大和ミュージアムは、その展示物のほとんどが旧海軍に由来するところから、思想的に偏向した展示がなされているのではないかと考えている方もいるだろう。実際、記者もこの視察の予定が入ったことを知人に話すと、「そういう趣味があるとは思わなかった」といわれたものである。しかしミュージアムには、旧海軍や戦前の日本を必要以上に持ち上げるような方向性は皆無。また逆に、戦前の歴史を不必要におとしめる取扱い方もしていない。もっとも目立つ展示物はもちろん1/10戦艦大和だが、展示室では呉の街が明治維新以降、海軍や造船企業とどのような道を歩んできたかをていねいに振り返っている。「戦艦大和のふるさと」という一言では表現しきれない、「技術の都」としての呉の歴史に触れることができる。
大和ミュージアムの展示を貫いているのは、「呉は先端技術の街であった」という誇り高い主張である。「東洋一」の呉海軍工廠、そして世界最大級のタンカーや貨物船を作り続けてきた戦後の造船所に脈々と流れる、技術者の魂。その結晶としての、戦艦大和なのだ。「大日本帝国の象徴」でも、「大艦巨砲主義の負の遺産」でもない、当時の日本の技術の粋を尽くした「最先端技術の凝縮」として描かれる大和の姿を、政治や思想のフィルターを通さずに見てほしい。(つづく)
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