2024年12月23日( 月 )

【筑後・大分豪雨】島根県西部にも集中豪雨(5日)

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 2日(日)午前9時、沖縄の南で台風3号が発生。3号は4日午前8時ごろ、長崎市付近に上陸して九州を通過。正午すぎ、四国の愛媛県宇和島市付近に再上陸し、関東方面に足早に過ぎ去った。しかしこの台風が梅雨前線を刺激。次々と発生する積乱雲によって島根県西部は豪雨に見舞われ、気象庁は5日早朝、同県浜田市、益田市、邑南町、津和野町に「大雨特別警報」を発表した。特別警報が発表されたのは、全国で今年初めてだった。

【大雨特別警報】
 大雨特別警報は2013年8月に運用が始まった、新しい気象警報のひとつ。数十年に1度の重大な災害が迫った時に発表する、とされている。気象庁は5日朝の記者会見で、「重大な災害が差し迫った異常事態だ」とし、対象の地域に土砂災害や浸水、河川の増水に最大級の警戒を求めた。

かつて1階の天井まで濁流に浸かった旧家

 テレビをつけるとNHKをはじめ民放各局も全国放送で、気象庁が発表した「島根県西部に大雨特別警報を発令」と放送。浜田市では5日午前2時45分までの1時間の雨量が、過去最高の82ミリを記録。24時間雨量も、過去最高となる369.5ミリを観測。そのため浜田、益田両市、邑南町の1万2,223世帯(2万6,850人)に避難指示が出されたが、その後次第に雨は上がり、島根県の大雨特別警報は約5時間後の午前11時15分に解除された。

 今回の豪雨と同様、1988年(昭和58年)7月22日の深夜から23日早朝にかけて、島根県西部を中心とする梅雨末期の集中豪雨は、「島根県昭和58年豪雨災害」と呼ばれ、多くの尊い人命を奪い、甚大な被害をもたらした。

 島根県にとっては戦後最大の記録的な雨量であり、各地で連続雨量は400mmを超え、益田市では23日午前6時から7時までの1時間に90mmを超す驚くべき雨量を記録。
 そのため、三隅町、益田市、浜田市を始め15市町村の広範囲にわたり、各地で河川が氾濫し、土石流、山崩れ、がけ崩れが相次ぎ発生。死者行方不明者107名、家屋全半壊3,041棟という島根県史上最大の被災となった。犠牲者のほとんどが、山崩れ・がけ崩れによるものであった。(島根県昭和58年豪雨災害 島根県土木部砂防課より抜粋)

 筆者は益田市に居住しており、雨の降りつける音で目を覚ました。今は旧家の隣に自宅がある。かつて益田川が氾濫した時、家内の父母は旧家に住んでいた。「氾濫した土石流が瞬く間に一階の天井まで押し寄せ、逃げる間もなかったので、辛うじて2階に避難して助かった」と、しみじみと語っていたことが思い出される。 
 島根県西部では大きな被害はなかったが、気象庁は5日19時55分に、福岡県、大分県に「大雨特別警報」を発令している(6日午後2時10分に解除)。多くの行方不明者が出ていると報道されているが、なんとか豪雨被害から自分の命を守ってもらいたいと祈るばかりだ。

一夜明けた益田川

豪雨の後いっきに花開いた自宅の浜木綿

【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】

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