不二越会長の「富山育ちは採らない」発言~誰も触れない都会人と地方人の感情的対立(後)
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東京育ちの会長が富山人に馴染めず、感情を爆発させた
この騒動には、都会人と地方人の感情的対立が根柢にある。
富山県人を敵に回した「(富山県出身者は)閉鎖された考え方が強い」発言は、百害あって一利なし。東京生まれ、東京育ちの本間氏は、最後まで富山の風土に溶け込むことができなかった。本社を東京に移すに当たり、自分を受け入れなかった富山県人への積もり積もった憎悪の感情を爆発させたということだ。本間博夫氏は1945年7月29日、東京都生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、70年4月に不二越に入社した生え抜きだ。リーマン・ショック後の2009年11月期に32億円の営業赤字に転落。創業家出身の井村健輔氏が退任。本間氏が再建を託されて社長に就いた。
業績は回復したが、新たな難問が生じた。欧州で、ガソリン車とディーゼル車を販売禁止する動きが強まってきたことだ。電気自動車(EV)や燃料自動車(FCV)の普及が進み、エンジン自動車や変速機の需要が減る。その結果、不二越が得意とするベアリング(軸受け)の受注が落ち込むのは確実だ。
そこで、生き残りをかけ、自動車用産業用ロボットメーカーへの転換を図ることにした。先行するファナック(株)や(株)安川電機に追撃すべく、ソフトウエアの大卒者を積極的に採用する。富山が本社では人が集まらないので、東京に本社を移す。ここで、「広く人材を求めるため東京を本社にする」とだけ言えば済むことなのに、「富山育ちは採らない」と、言う必要がないことまで口にする。よほど、富山人に対して恨みがあったのだろう。
地方に赴任する都会人は「菅原道真症候群」なり
都会人と地方人の感情的対立は、よく耳にすることだ。都会から地方に下った者は“都落ち”にみられる。そのくせ、“都会風を吹かす”から田舎者には許せない。上から目線で、見下したような物言いをするので、「この野郎!」となる。
せっかくの機会だから、地方人との人脈をつくったほうがよさそうだが、その気はさらさらない。「あと何年で本社に戻れるか」と指折り数えている。何年も地方にくすぶっていたら、本社に忘れられて出世競争に遅れをとるという焦りにさいなまされている。
筆者は、この手の都会人を「菅原道真症候群」と名付けた。
菅原道真の名前は、日本人なら誰でも知っている歴史上の超有名人だ。福岡県太宰府にある太宰府天満宮は、天神さま(菅原道真)をお祀りする神社だ。今でこそ学問・受験の神様として慕われているが、平安時代は「怨霊」「祟り」の代名詞だった。「怨霊」を鎮めるために創建されたのが、京都の北野天満宮と太宰府天満宮だ。菅原道真は、左遷の憂き目に遭って、2年後に太宰府で亡くなったが、京都に思いを馳せる和歌を詠んでいる。「こちふかば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
〈春になって東風が吹いたなら、その風に托して配所の太宰府へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな〉(「学研全訳古語辞典」)。菅原道真のこの有名な句には、都に早く戻りたいという望郷の念が込められている。太宰府の地に骨を埋めるという開き直った気概はまったくない。道真公は結構女々しかったと驚いたものだ。中央官庁のキャリア官僚や、大企業のエリートビジネスマンが地方に“都落ち”した心情と重なり合う。本社に戻ることしか頭にない都会人を「菅原道真症候群」と名付けた理由だ。
哲学者の梅原猛氏は『将たる所以 リーダーたる男の条件』(光文社)で、日本のリーダーの条件の1つに「怨霊をつくってはならない」を挙げる。不二越の会長は、富山県人を侮辱する発言で「怨霊」をつくってしまった。リーダー失格だ。不二越の富山工場に、怨霊を鎮める神社を創建したらどうか。
(了)
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