下関ゴルフ倶楽部~消えた山口銀行の翳(番外編)
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名門の誉れ高い下関ゴルフ倶楽部は1956年(昭和31年)7月21日、大洋漁業副社長だった中部利三郎氏の手により創業された。【表1】は下関ゴルフ倶楽部の歴代理事長である。話は逸れて申し訳ないが歴代理事長の名を見てほしい。初代利三郎氏から60年以上の時を経て、全て一から三の数字が入っている。偶然と言えば偶然たが、理事長代行の哲二氏に大政奉還されたのは何かの縁なのかもしれない。
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中部一次郎理事長の一がある第4代の福田浩一理事長。その縁を知ってか知らずか、クラブハウスの建替えを2013年11月26日に開催された臨時総会に提案。一部の反対を押し切り、2015年(平成27年10月)に建替え工事を山口銀行と親しい清水建設に発注。クラブハウス建替えの当初予算は11億円だったが追加工事が発生し、総額12億円に膨れ上がったものの、昨年9月に完成。
福田理事長は自分の手で栄えある60周年を切り拓き、まさに新しい歴史を刻む輝かしい一年の始まりを迎えようとしていた。この時点では得意満面だったのではないだろうか。
しかしその思いを一気に打ち砕いたのは、その2カ月後の11月30日に山口地裁下関支部で下された「ゴルフ半額プレー裁判」の結審だった。福田理事長に対し「差額プレー代金28万1,600円(3,200円×88回=281,600円)及びこれに対する平成26年8月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え」との有罪判決が下されたからだ。
山口FGの社長及び山口銀行頭取のポストは昨年6月、吉村猛社長(兼山口銀行頭取)に譲ってはいたが、山口銀行会長である立場を重く受け止めざるを得なかったのだろう。有罪判決を受けた1か月後の12月31日付で理事長を途中辞任している。
筆者は今年3月に、「頭取交代劇」には関係していない吉村猛山口銀行頭取に前向きな話し合いを求めたところ、応諾を得た。その流れを受けて5月23日(火)に、山口銀行(吉村頭取・梅本裕英専務)とデータ・マックス(当社児玉直社長・筆者・柳茂嘉記者)との対談へと進んだ。吉村頭取の経営に対する真摯な発言の内容は、2017年6月5日刊行のI・B2241号「トップが語る山口のまちづくり」に掲載された。データ・マックスは過去山口銀行には批判的な姿勢だったが、吉村山口銀行頭取(兼山口FG社長)との対談を通じて、児玉社長以下その人柄に魅せられファンとなったのだ。
ただ、下関ゴルフ倶楽部の理事長を任期途中で辞任した福田浩一氏は、今も山口銀行会長。監事を辞任した西原克彦氏は関係会社ワイエム証券の社長として、睨みを利かす立場にいる。また下関ゴルフ倶楽部の法人登録退会者となった91歳の田中耕三氏だが、今も運転手付きの専用車で毎日出勤する現役の山口銀行相談役だ。13年前、クーデターにより田原鐵之助頭取を更迭し、福田浩一頭取を誕生させた悪夢が甦る。今や「守旧派」にはその力はないとは思われるが、吉村新体制は万全な体制を固め、来年こそは行員・OBのために「甲羅派」を一掃し、生まれ変わった「維新銀行」を築いてほしいものだ。
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】
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