果敢なる海外への挑戦で成長力を高めた「世界のHIRATA」(5)
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平田機工(株)
生産システムおよび産業用ロボットの製造・販売を手がけ、「世界の工場をつくる工場」と呼ばれる平田機工(株)。同社は、中興の祖である2代目社長・平田耕也(やすなり)氏のもと、松下電器産業やアメリカのGMといった一流企業を相手に積極果敢に営業を仕掛け、受注を勝ち取っていく。より高いハードルへの挑戦は技術力の向上にもつながり、世界で最も品質に厳しいトヨタから、その重要な生産ラインを任されるまでの企業になった。あえて厳しい環境に身を置くことで、成長力を高めたといえるだろう。
再び本社を熊本へ
最後になるが、熊本発の世界ブランドになった同社が、創業の地への貢献を第一に考える地域密着企業であることは特筆しなければならない。2代目社長・耕也氏は、地元経済界の要人として、熊本の産業振興に尽力。1983年に発足した熊本テクノポリス財団(現・くまもと産業支援財団)の常務理事として、構想の普及と寄付金集めに駆け回り、全国9カ所のテクノポリスのなかで最多となる20億円の民間寄付(同社は6,000万円を寄付)を集めた。この寄付金でつくられたのが、益城町の「テクノリサーチパーク」である。さらに耕也氏は、95年に発足した熊本県工業(連)の初代会長に就任。地元工業界を牽引し、熊本が「シリコンアイランド九州」の中核地となるうえで多大な貢献を収めた。「中小企業はニッチトップを目指せ!」。隙間とされる小さな分野でトップになろうという、耕也氏の考え方は、多くの人に受け継がれている。
耕也氏の魂を受け継いだ4代目社長・雄一郎氏は、16年6月、同社関係者にとって念願ともいえる決断を行った。熊本への本社移転だ。同年4月、熊本地震が発生し、同社の創業の地は、甚大な被害に見舞われた。耕也氏の背中から受け継いだ熊本への想い。「熊本のために何かをしなければ」という雰囲気は自然と高まっていた。また、アメリカ進出のために熊本から離れて36年、今では「世界のHIRATA」として自社のネームバリューは高く、東京に依る必要もなくなっていた。同年6月23日、本社を熊本市に移転。同時に県内工場で100名以上の有期雇用を決めた。70億円の本社工場の建替えも復興支援の一環とされる。幾度とない挫折を乗り越え、海外への挑戦で成長力を高めた同社。世界で活躍しながら、熊本の企業としての誇りを大切にしてきた同社ならではのエピソードといえるだろう。
(了)
【山下 康太】<COMPANY INFORMATION>
代 表:平田 雄一郎
所在地:熊本市北区植木町一木111
設 立:1951年12月
資本金:26億3,396万円
売上高:(17/3連結)805億4,236万円関連キーワード
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