崩れゆく丸源ビル43の栄華「小象がいたフルーツ屋」
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中洲バトルロワイヤル
建物の老朽化から方々で商業ビルの建て替え工事が方々で行われている。そのようななか、老舗ビルでビルのネオン看板の一部が腐食して落ちる事故が発生した。「丸源ビル43」。かつて北九州市出身の不動産王・川本源司郎氏が所有していたビルである。西洋建築をモチーフとしたデザインは、高度経済成長からバブル期にかけての繁栄の象徴的存在でもあった。
不動産王の遺跡
12月11日夜、午後9時過ぎ、中洲大通り沿いにある「丸源ビル43」の高さ19mに設置されたネオン看板底部のL字型の枠2つが落下した。年末の忘年会シーズンで人通りは増えていたが、幸いにもけが人はなかった。万が一、通行人を直撃すれば大惨事になっていただろう。
この事故について、中洲関係者の多くは「起きるべくして起きた」と思っている。中洲にある「丸源ビル」では、ビルメンテナンスがほとんど行われず、目に見えて老朽化が進んでいるからだ。
かつて「不動産王」と呼ばれた川本源司郎氏が所有していた「丸源ビル」は、現所有者がビルの状態によほど無頓着なのか、メンテナンス不足から荒廃が進んでいる。博多川沿いの「丸源ビル36」は、エントランス部分から上に伸びる階段が、最上部で手すりが崩れ、たいへん危険な状況。中洲にある「丸源ビル」のなかでは最大規模となるが、老朽化に加えて、メインストリートが中洲大通りに移ったこともあり、今では空き室がほとんどという状況だ。もはや不動産王の「遺産」というより「遺跡」といったほうが正しいかもしれない。それも寂しい限りだ。
中洲が繁栄を極めし頃、「丸源ビル」も他のビルと同様、さまざまな人間ドラマの舞台であった。「丸源ビル43の1階にあったフルーツ屋が“小象”を飼っていた」という話がある。今も、「丸源ビル43」の裏側に看板を残す、そのフルーツ屋は、飲み屋への果物の販売で、たいそう儲けていた。派手好きのフルーツ屋の社長が、新店のオープンに際し、どこからか小象をレンタルし、一時期、賑やかしとしていたのだ。
この社長には、もう1つの“伝説”もある。それは「丸源ビル43」上層部のワンフロアを借りて、そこに豪勢な社長室として利用していたというものだ。今でもその名残はビルの裏側からうかがえる。ビル全体の空調システムの老朽化で、各テナントの室外機がズラリと並ぶ異様な光景を見せているが、室外機の置かれていないフロアがあるのだ。
往時は繁栄の象徴ともいえた「丸源ビル43」。広々とした社長室で一体、何が行われていたのか、今となっては知る由もない。
【長丘 萬月】
<プロフィール>
長丘 萬月 (ながおか まんげつ)
福岡県生まれ。雑誌編集業を経てフリーに転身。よく言えば「現場主義」でひと通りの「ボッタクリ」を取材し(被害に遭い)、蓄積したデータをもとに「歓楽街の安全・安心な歩き方」を勝手にサポート(武勇伝として語るだけ)している。自称「中洲飲み屋のコンサルタント」だが、実際は愚痴の聞き役で最後は店で寝てしまう。腹周りと肝臓の脂肪が気になる今日この頃、それでも中洲に毎日出没する。関連キーワード
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