自分自身は神も仏も信じない無神論者である。また、戦国時代や江戸末期などの話にも興味がない。とくに、幕末の物語は美化されがちだからだ。知りたいのは“ファクト”のみ。そのためか、京都の有名な神社・寺を見物しても、それにまつわるエピソードを聞いても、それほど感銘を受けないのかもしれない。
平安神宮を見ても二条城を見ても、器は立派であると思った。そのダイナミックなスケールや美しさには圧倒される。
しかし、肌身に感じたのは、当時の権力者の臭い。京都の有名な神社・寺の多くは、時の権力者が力と金にものを言わせて、自分たちの欲や都合のために作らせたものだ。庶民には無縁だったのではないかと想像できる。時の権力者の象徴が、国宝または重要文化財として残り、観光名所となっているのだろう。
1泊2日でいくつかの神社・寺を回った。伝わってきたのは、歴代の権力者たちが作り上げた歴史。建物だけでなく、室内の装飾品や襖絵などを見て、その美しさや高い芸術性は素人目にも伝わってくる。だが、そうした当時の“アーティスト”も、やはり時の権力者に取り入った人たちだったのではないかと思う。歴史的遺産としての価値はあるが、それ以上の価値を感じるかどうかは、見る角度によって異なるのかもしれない。
京都研修旅行を通じて、「歴史は勝者の歴史である」ことを改めて悟った。
【木村 祐作】
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