大谷史洋氏自叙録「この道」を読み解く(1)~「時代の変化を見極める力」
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約40年前、新しいことをやろうと設計事務所を立ち上げた(株)おおたに設計会長の大谷史洋氏。人々が生活する「場」となるマンションづくりを黎明期から支え、福岡のまちづくりに携わってきた。大谷氏の半生は、福岡のマンション、まちづくりの歴史でもある。大谷氏が著した自叙録「この道」(2016年6月1日発行)には、まちづくりに携わった歴史と生き様が記されているが、そこにはビジネスや生き方のヒントが詰まっている。この自叙録の中から、ビジネスに役立つエッセンスをシリーズで紹介する。
大工になるのが夢だった
経営者の重要な資質は、時代の流れを見極め、適切な方向へ舵を切ることである。おおたに設計創業者の大谷史洋氏(以下、大谷氏)は、福岡における分譲マンション市場の拡大に可能性を覚え、分譲マンションの普及に尽力する。そのことが、おおたに設計の事業を拡大することになる。
大谷氏は、1943(昭和18)年、鞍手郡宮田町の貝島炭鉱から北京に出向していた父壽と母タツノの間に生まれた。終戦を迎え、福岡に戻り親子3人の生活を送っていたが、1953(昭和28)年、突然、父親が亡くなる。大谷少年10歳、小学校5年生であった。その後、母が女手1つで大谷氏を育てる。
1961(昭和36)年、日本大学工学部建築学科に進む。子どもの頃から大工になりたいと抱いていた思いを実現させるためだ。教養課程の試験に友だちと寝坊してしまい、1年留年し大学には5年間通った。
5年時に空手部の監督から「昼は設計事務所にアルバイトに行け。夜は道場で空手を教えろ」と言われ、小さな設計事務所でアルバイトを始める。そこで、朝から鉛筆の芯削り、1mm方眼をつくる。大谷氏は当時のことを「1カ月くらい毎日1mm方眼を描いているうちに、この作業こそ生きた線をつくる練習だとわかった。定規と鉛筆で真っすぐな生きた線をつくるのは、並大抵の苦労ではない」と記している。しばらくすると、図面を作図するようになり資料を調べてつくり上げ、見てもらうことを繰り返すうちに、実施図面として使ってもらえるまでになる。構造計算から積算まで、設計の全体の流れも学んだ。5年間の学生生活を終え福岡に戻った大谷氏は、(株)高木工務店に入社する。現場員として昼は職人が仕事をしやすいよう環境を調え、夜は作図などに携わり、実務を収得した。
現場の仕事は楽しく、学びも多かった。しかし、新しい人との出会いが少ない。
そんな時、和田設計の田中さんから「設計事務所を始めるから一緒にやろう」と誘われる。現場で建物をつくるのも、設計をしてつくるのも、同じ物をつくる仕事だなと思った。設計のほうがサイクルは早いし、人と知り合うチャンスも多いと思い、設計の道に入る。高木工務店には丸5年お世話になり、現場の仕事を覚えさせてもらった恩義があるが、事務所が動き出すと、高木工務店にも恩返しができるだろうと思った。33歳で設計事務所を設立
1971(昭和46)年、28歳の時、博多駅前4丁目で田中さんと2人で太陽設計を設立。ここで、商業ビルやゴルフ場のクラブハウス、賃貸マンション、ソープランド、住宅金融公庫融資の住宅など手がけながら、顧客を広げ自分の領域をつくり上げていく。そうして、5年後の1976(昭和51)年、33歳でおおたに設計を設立した。それまでの人脈もあり、仕事は順調に増える。
そんなある日、打ち合わせ先で「分譲マンションをやろう」という話があった。当時、福岡に大京観光など大手の分譲マンション業者が出店し始めていた頃だ。面白いとは思ったが、分譲マンションの知識はゼロだった。
大谷氏は興味をもつと、情報を集め研究し、自分でやってみる。知識や経験がないからという理由であきらめたりはしない。この姿勢は、大谷氏が一貫して持ち続けていたものだ。むしろ、面白いと思って関わるようになる。単に目新しさだけでなく、経営者として分譲マンションがこれからのまちづくりに欠かせないものになるという時代の流れを読み取っていたからでもあるだろう。そうして、大濠公園のそばで11階建20戸のマンションを設計することになった。大京観光や大蔵屋とも付き合いを始めると、全国ネットの大手デベロッパーは土地情報が少なく困っているということがわかった。そこで、事務所に来るゼネコンの営業部長たちにマンション用地を探すよう依頼、候補地を探して情報を提供するなど分譲マンション市場拡大をサポートした。そうして大蔵屋や大京観光、穴吹工務店など大手デベロッパーと取引するようになった。1980(昭和55)年ごろの福岡は、若い人たちが次々に独立し、分譲マンション業界に参入してきた。おおたに設計も共同住宅や分譲マンションの受注に力を入れた。3年目には、分譲マンションを中心に10物件以上が動き出す。依頼される数が増えたこともあり、いち早く事務所の人員を増やし組織づくりも進めていたので、増加する需要に対応できた。
こうしておおたに設計は、大手デベロッパーとも取引を始め、7割ものデベロッパーと取引するまでに市場を開拓、福岡のマンション業界を牽引する立場に成長していく。こんな話も残っている。北九州の中屋敷材木店が、福岡で分譲マンションを手がけたいと考え、市役所に相談にいくと、「おおたに設計がいいだろう」と言われたという。まさに、おおたに設計が積み上げた実績の大きさを表しているといえるだろう。(つづく)
【宇野 秀史】■応募概要
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