2024年11月28日( 木 )

南北首脳会談 核保有と権力維持に自信見せた金正恩~韓国は北の戦略に包摂される

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 南北朝鮮の首脳会談が27日、軍事境界線上の板門店・平和の家(韓国側施設)で開かれた。例によって「歴史的会談」と喧伝されたが、会談の呼びかけも内容も、完全に北朝鮮ペースで行われたことが、前2回と大違いである。北朝鮮の核開発、ミサイル開発が完成段階になっていることが、北側の余裕のある背景にある。金正恩は30歳代前半であり、今後何十年も政権担当能力がある。彼の口からは、韓国の「親北政権」が継続してほしい、という願望があちこちで露出した。両手に核兵器とミサイルを持ち、韓国からの経済支援を取り付けるという長期戦略に、日米はどう対応するのか。北の独裁者の手の内は見え見えだが、米国の暴君(トランプ大統領)の出方は依然として不透明である。

 午前10時15分から始まった首脳会談は、冒頭の数分間が中継されたが、おしゃべりな金正恩が目立った。隣で妹の与正が熱心にメモをしている姿が印象的である。しかし、文在寅大統領が話し始めても、彼女はぼんやりと聞いているだけだ。
 与正は朝鮮的な伝統から見ても、出過ぎである。韓国の財閥の娘たちと酷似した匂いをプンプンさせている。金正恩は若い(年齢不詳)が、やはり金日成の血は争えない。朝鮮的な首領の雰囲気を巧まずして演出できる。
 楕円形のテーブルを挟んで、双方の随行者は各2人。北朝鮮側は妹の与正と、対南工作機関のトップである金英哲だ。韓国側は大統領の秘書室長のイム・ジョンソクと、国家情報院長の徐薫である。
 ここではイム・ジョンソクが同席しているのが重要だ。1990年代の初め、ソウル特派員だった頃、韓国の北朝鮮シンパ学生団体でのトップであり、女子学生の林秀卿を平壌に派遣した事件で有名になった。逮捕されて収監されたものの、その後は左派政治家に引き立てられ、ソウル市副市長を経て文在寅大統領の秘書室長に抜擢されたのである。
 当初、彼が首脳会談に同席する予定ではなかった。何か変更せざるを得ない事情があったのだろう。彼は与正ととても仲がいい。彼女がソウルに来る前からの知り合いかも知れない。板門店でも早速握手していた。
 平壌に行った林秀卿は、金日成を「アボジ(お父さん)」と呼んだ。板門店を通って帰国後、逮捕されたが、今では与党の国会議員である。脱北者を「根無し草」と罵倒して、彼女の本性が出た。
 これまでの北朝鮮の騙しの交渉術をレビューすれば、この国が第一段階では常に相手国を喜ばせる「明確な意思」を表明してきたことを再確認できる。相手国はそれを信用しているわけではないが、騙されているふりをして手綱を緩める。すると北朝鮮は次第に本性を発揮して、いいとこ取りの策略を展開する。そういう風にして「核大国」になってきたのである。
 チャック・ダウンズはかつて米国防総省で活躍した交渉専門家だ。彼が2000年代初めに書いた「北朝鮮の交渉戦術」(日新報道)によると、北朝鮮の交渉戦術の特徴は3つの段階に分けることができる。
 第一段階では新たな開放を何の前触れもなく示して周囲をあっと驚かせ、対話ムードを強く見せるのが特徴だ。
 そして第二段階に入ると、北朝鮮は対話ムードへの対価を求め、歩み寄りに対する譲歩を相手方に執拗に求め始める。
 そして一旦譲歩を得ると、第三段階に入ってから突然、対話をストップして、一方的に相手を非難し始めるのが常道だ。
 「北朝鮮の現政権が権力の座についている限り、このサイクルは今後も続いて行くと思われる」。訳者の福井雄三氏が書いている通りの展開が、今度の首脳会談でも進んでいるわけだ。交渉時の文言で北朝鮮を信用するのは、歴史の教訓に学ばない者だ。

<プロフィール>
shimokawa下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授、大分県立芸術文化短大教授(マスメディア、現代韓国論)を歴任。現在、著述業(コリア、台湾、近現代日本史、映画など)。最新作は「忘却の引揚げ史〜泉靖一と二日市保養所」(弦書房、2017)。

 

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