中内ダイエーなくして、福岡がここまで発展することはなかった(3)
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元ダイエー福岡3点事業専務取締役 大西 義威 氏
足りない部分を補おうとしていたのではないか
――中内功氏の人柄に関しては「初めに仕組みありき」(論理的でシステムを大事にする)といわれることが多い一方で、「初めに人間ありき」という面も見られます。大西さんは、どのように感じておられましたか。
大西 先に申し上げましたように巨象ですから(笑)、見る方向によって、異なった解説が出るのは仕方がないでしょう。中内は『ネアカのびのびへこたれず』を座右の銘にしていました。「夢や希望を持ち、明るく元気にどこでも物怖じすることなく、誰とでもしっかり言葉を交わし、逆境でもたくましく生き抜く力が大切である」という意味です。
私は、中内は自分がすごく感情的な人間であることを承知していたので、それに流されないように、足りない部分すなわちシステマチックな部分、論理的な部分をあえて強調していたのだと感じています。世の中に残した功績については忘れないで欲しい
――今福岡の経済界で事業家・革命家としての中内功氏をもう一度見直そうとする動きがあります。また、少し話は変わりますが、ネットや書籍上では、「ダイエーは金融不安を引き起こす状況ではなかった。再生機構が介入する理由はまったくなく、ダイエーに任せておけばよかった」という経済学者などの記述も散見されます。この点に関して大西さんはどのように考えておられますか。
大西 私は当時ダイエー単体の経営計画部長、ダイエーグループの経営計画部長として、財務の数字を潰さに見ていました。その点からいえば、ダイエーは業績が悪くなって潰れたと一般的に言われていますが、それは違います。日本の銀行の金融システムを守るために、「巨額負債のある30社リスト」の筆頭として、時系列にいえば、経済産業省の所管から大蔵省の所管に変わり、同時に(株)産業再生機構に組み込まれて潰れました。私はそのことに関してここで言及するつもりはありません。
日本社会では栄光の後に転落した人については「全否定」して抹殺してしまう傾向があります。しかし、中内の経営者、そして事業家・革命家としての評価は是々非々で行うのが正しい姿です。現在の『福岡ソフトバンクホークス』、『ヒルトン福岡シーホーク』、『福岡ヤフオクドーム』は、中内が球団の本拠地を福岡に決め、アジアの玄関口としての街をつくろうとしたからこそ、今があります。福岡県民の皆さまはもちろん、読者の皆さまも中内が世の中に残した大きな功績について忘れないでいただければ嬉しく思います。
【金木 亮憲】
(補足)新神戸オリエンタルシティの成功が原点
中内氏は福岡市百道浜に一時は4,900億円の投資を考えていた。こんな巨大な投資を思いつく経営者は福岡に存在しなかった(現在でもいない)。とはいえ、いかに巨人・中内氏でもしかるべく成功の体験が無ければビックビジネスの構想を浮かべることはできなかっただろう。実は、神戸にその成功の体験があったのだ。それは新神戸オリエンタルシティ事業だ。
山陽新幹線新神戸駅周辺は賑やかなスポットが何もなかった。中内氏は「チャンスがあれば神戸の新玄関口にふさわしい施設を造りたい」と切望していた。ようやく運が転がってきた。1985年のことだ。来島ドックのオーナーであった坪内寿夫氏から相談があった。
同氏は当時、新神戸駅近くでホテル経営を行っていた。このホテルの買収打診があったのだ。中内氏の動きは迅速であった。(1)神戸を訪れた人にとって、至極便利な位置にあるホテルや劇場、(2)至極便利な神戸での滞在が可能となる神戸の魅力を凝縮した商業施設、(3)新神戸周辺広域の核となる大規模な商業施設と近隣住民の生活を便利にする商業施設の両立というコンセプトを明確にした。
ホテル・ショピングモール・劇場を集約し、そのなかに神戸の魅力を凝縮した新神戸オリエンタルシティが1986年に着工されて、1988年に完成した。地上37階建てで、誕生当時、関西一の高層建築物であった。ダイエーの投資額は500億円と言われる。このプロジェクトの企画にも大西氏は加わった。1988年から稼働開始して1年で黒字となりキャッシュの面でも親孝行をしてくれた。この成功の体験があってこそ百道浜の投資に果敢に取り組むことができたのである。(つづく)
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