シシリー島便り・日本人ガイド、神島えり奈氏の現地レポート~パレルモの地下水路とマフィアの歴史(中)
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パレルモの地下はまだまだあり、秘密の抜け道のように地下道が使われていた。パレルモ人は「セッタ」と呼ばれる組織が存在したという伝説を信じている。この組織はノルマン支配の12世紀に存在したと言い伝えられている。
事実だと証明されているわけではないが、1909年にルイジ・ナトリという歴史小説家がシシリー新聞に1年にわたって『ベアティパオリ』という物語を掲載し、それが多くの大衆に読まれた。この物語ではパレルモの歴史背景と、教会や地下道など、実際に旧市街に残っている建物について細かく書かれており、人々はこの組織が、まるで実在したかのように信じているのだ。
それが、シシリーマフィアの起源だと言われている。シシリーの12、13世紀はノルマンの時代で王から封土を与えられた領主たちは、農奴を使って、畑を耕し、農作物を収穫し、年貢を納めた。各領主たちが権力を強めていった時代、争いごとは絶えなかった。そんなとき貧しい農民たちは、この組織に助けを求めたという。
彼らは日中、修道士の恰好をし、人々から情報召集し、夜になると真っ黒いマントに身を包み、頭には頭巾をかぶっていた。隠れていないところ目の部分だけだった。なぜ黒い服であったのか。それは街灯などなかった当時、小さなロウソクの灯で、闇夜で活動をする彼らにとって、黒い服のほうが姿を隠しやすいという理由からだった。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下道は、教会の下のクリプタ、カタコンベ(地下墓所)にもつながっていたとされ、壁に抜け道の跡がそこかしこに残っている。また前述した貴族の屋敷の地下に造ったシロッコの部屋も、この組織の集会所、密会所として使われていた。権力を駆使し、貧しいものを力ずくで押さえつけようとする有力貴族たちを成敗する、まるで正義の味方、ヒーローのような組織だった。
この組織に参加するには、人差し指の先をナイフで薄く切り、彼らのバイブルのうえに血を垂らし、オメルタ(暗黙の掟)を誓った。誰かに捕まったとしても絶対に口を割ってはならないというルールだ。彼らにとって人殺しは何の苦にもならなかった。彼らは地下の洞窟部屋で闇の裁判を行った。招かれた貴族は死刑となり、その場で殺されるのだ。
1700年代にヴィッラビアンカ伯で歴史書家でもあった彼がそう綴る。今日、マフィアは恐ろしい存在の象徴だが、パレルモ市民にとって、ベアティパオリは弱い者の味方として、決して怖くない、むしろヒーローのようなイメージで描かれている。ミステリアスな伝説だからこそ、より魅力が増すのだ。
とはいえ、マフィアは現在も存在する。伝説はさておき、1860年ガリバルディの率いる「赤シャツ千人隊」がジェノヴァから船で出発し、まずシシリー島を占拠する。そして、1861年イタリア王国として統一された。工業化が進んだ北イタリアに比べて、南イタリア、とくにシシリーは貧困が続いた。封建制度がすでに廃止されていたにも関わらず、大地主たちは、自分たちの土地で農民たちをこき使っていた。広大な土地をもつ大地主たちは、農民たちをうまく指揮し、管理するガベロットという農地管理人を各地においた。このガベロットたちは酷使される小作農民のために組織をつくった。この組織がマフィアだとされる。(つづく)
<プロフィール>
神島 えり奈(かみしま・えりな)
2000年上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業後、東京の旅行会社に就職。約2年半勤めたのち同社を退職、単身イタリアへ。2003年7月、シシリー島パレルモの旅行会社に就職、現在に至る。関連記事
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