『贈答用苦戦』の流れのなか加工食品で再生へ~福岡・明太子業界(前)
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今から10年前、福岡の明太子業界で主要企業の倒産が相次いだ。当時は、リーマン・ショックにともなう不況により贈答用が苦戦を強いられたほか、過剰な設備投資にともなう借入過多に苦しんだ末、破産を選択した企業が多かった。しかし、現在では、経営破綻する企業は少なくなってきている。その背景には、贈答用の一本物の「真子(まこ)」から一口サイズに切り分けられた徳用品の「切れ子」、さらに加工食品や菓子の原料となる魚卵の粒「ばら子」など消費ニーズが多様化してきたことが挙げられる。
中元歳暮で5、6個は当たり前だった明太子
福岡を代表する食品、明太子。ここ20年でその在り方は大きく変わってきた。かつては贈答用の定番であったが、現在は中元・歳暮そのものの需要が大きく変化。福岡を代表する食品の明太子であるが、ここ20年でその在り方が大きく変わってきた。
60代、70代の人たちは、中元・歳暮で明太子をもらう機会は今よりも多かっただろう。「昔は、少なくとも5~6個はもらっていた」(福岡市内の70代経営者)。博多土産として、福岡に出張にきた方が購入するケース、県内の中元・歳暮として利用されるケースなどがあり、たくさんもらっても冷凍して再利用でき、食卓のおかず以外にもパスタやトーストといった料理にも使用できる“万能食品”として、重宝されていた。しかし、それが今は中元・歳暮で送られる数がめっきり減った。「今では1個もらうかもらわないかー」(前出の経営者)。
08年12月、(株)博多まるきた(福岡市西区)や(株)平塚明太子専門店(北九州市八幡東区)がそれぞれ民事再生法の適用申請を行い、経営破綻した。同年9月15日のリーマン・ショックが引き金となり、金融の引き締めなどが行われたことが一因にある。また、このころを境に贈答用の明太子が売れなくなり、製造過程で袋が破れたものなどを一口サイズに切り分けた徳用品の「切れ子」が注目を集めるようになった。一本物の「真子」が売れなくなり、製造業者のなかには、袋が破れていないきれいな「真子」をわざわざ切り分けて、「切れ子」にするところもあったぐらいだ。業者自らが商品価値を下げてまで販売しなければならないほど、贈答用の明太子ニーズが薄まったということである。
辛子明太子の発展は、昭和50年(1975年)の国鉄博多駅の新幹線開通に合わせて、需要もそれをつくる企業も一気に増えた。明太子メーカーとしては企業によってその割合は違うものの、粗利が6割以上もあった時代が長く続いたことで、内部留保を手厚くできていた時代があった。だが、それも中元・歳暮のニーズが薄まることで一変する。贈答品としての需要がなくなることで、その対応に追われたのだ。そこで行われたのが明太子を活用した加工食品の開発。これが衰退する業界の再生の道へとつながっていく。
(つづく)
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