鹿児島経済の「顔」たる資格はあるか?(前)~苦境に立ついわさきグループ
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創業者の岩崎與八郎氏が、21歳の若さで鉄道の枕木納入で大成功を納め、莫大な資産を形成。戦後は、バス、フェリーなどの交通運輸事業とホテル経営など観光・レジャー事業を中心に事業規模を拡大し、鹿児島経済をけん引する一大企業グループとなった、いわさきグループ。財団法人を設立し、奨学金制度を設けるなど経済のみならず、教育面でも地元に貢献し、その存在は戦後、地元経済で強く光り続けてきた。しかしながら近年は、事業環境の激変で苦戦続き。中核企業では、巨額の借り入れと累積損失のダブルパンチで財務面の脆弱化が進んでいる。
一代で財を成した創業者・岩崎與八郎
鹿児島県の観光・交通産業を担い、地域経済を牽引してきたいわさきグループ。現在、岩崎産業(株)といわさきコーポレーション(株)を中核企業として、88社で構成された同グループのルーツは、創業者・岩崎與八郎氏が1923(大正12)年4月に開業した木材業者「岩崎商店」に始まる。
與八郎氏は、1902年、鹿児島県曽於郡岩川(現・曽於市)生まれ。軍人を志し、陸軍幼年学校を受験したが体格検査で不合格となり、事業家を目指したという。創業当時、志布志線の鉄道工事が行われようとしており、鹿児島初の枕木納入業者になろうとしたが上京して訪れた鉄道省の敷居は高く、相手にされなかった。ところが、同年9月1日に発生した関東大震災で状況は一変。再建のため、大量の枕木が必要となったことから岩崎商店に納入許可がおり、與八郎氏は21歳の若さで「自他ともに認める日本一の枕木納入業者」になったとされる。
その後、與八郎氏は、木材業を基盤として、国策に添ったかたちで重工業、造船業、鉱山業など工業を中心に事業を展開するほか、26年8月から郵便逓送事業、30年には鉱山事業を開始するなど事業を拡大。40年4月に法人改組し、岩崎産業(株)を設立(登記上は28年4月設立)した。他方、43年12月に奄美大島の山林1万2,000haを所有し、木材資源の確保にあたった。
戦後は、鹿児島県内の豊富な自然に着目。事業不振に陥った地元のバス会社や民間鉄道を引き受けていたこともあり、相乗効果をねらって、陸海空の交通運輸事業を本格化させるとともに観光・レジャー事業に乗り出した。
交通&観光で鹿児島経済を牽引
一代で築き上げた莫大な資産を背景に、経営者としての実力を世間に認められた與八郎氏のもとには、業績低迷の企業を引き受けてほしいとの要請が次々と寄せられた。交通運輸事業では、まず、52年5月に南薩鉄道(株)を買収。53年2月、大隅半島にバス網をもつ三州自動車(株)(43年4月設立、現・いわさきコーポレーション)を引き受けて、與八郎氏が社長に就任した。60年2月に鹿児島商船(株)、66年12月に南海郵船(株)をそれぞれ買収するなど、交通分野で規模を拡大させた。
その一方で、観光・レジャー事業では、無名の湯治場であった指宿市に「指宿観光ホテル」を建設し、56年11月にオープン。59年2月には、好評を博した名物「ジャングル浴場」が完成し、67年11月には「指宿ゴルフクラブ開聞コース」がオープンするなどレジャー開発が進み、「指宿」は飛躍的に知名度があがった。指宿のほかでも、佐多岬、開聞山麓、屋久島、種子島、伊豆・石廊崎、箱根、大分県久住、沖縄など各地で観光開発に取り組む。各種交通の行き先を自らつくり、人の往来を活性化することでシナジー効果を生む。この戦略が成功し、さらなる成長を遂げた。
68年3月、與八郎氏は鹿児島商工会議所会頭に就任。以後、6期18年、鹿児島経済界の重鎮として精力的に活動した。鹿児島港の国際港化や鹿児島市とオーストラリア・パース市との姉妹都市盟約、鹿児島国際空港の実現に尽力。国際観光船の寄港誘致活動を熱心に行うなかで訪れたオーストラリアで、リゾート開発の可能性を感じた與八郎氏は、72年にオーストラリアへ進出。79年6月、「キャプリコーン・イワサキ・リゾート」を起工した(84年9月開業)。
晩年まで活発に事業活動を続けたとされる與八郎氏だが、その一方で、社会貢献活動にも熱心に取り組んだ。41年、岩川工業高校(現・県立岩川高校)創立のために私財を寄付。43年、鹿児島工業専門学校(現・鹿児島大学工学部)、鹿児島医学専門学校(現・鹿児島大学医学部)の開設および大学昇格にも寄与した。
51年11月には、地方から上京進学を目指す学生を支援するため、(財)岩崎奨学会(現・岩崎育英文化財団)を創立。同財団では、東京に「岩崎学生寮」を建設するほか、奨学金制度や留学生への資金援助を実施。鹿児島県下の中学・高校・高等専門学校・特殊教育諸学校で優秀な生徒を卒業時に1校1名表彰する「岩崎賞」など、鹿児島の人材育成を奨励するための活動を行っている。
與八郎氏は、81年に2代目・岩崎福三氏に社長を引き継ぎ、93年12月28日、この世を去った。享年91歳。木材業から交通・観光産業へと、時代のニーズを見極めて業容を転換し、鹿児島経済の発展に寄与した與八郎氏。その功績は大きい。
(つづく)
【山下 康太】
<COMPANY INFORMATION>
岩崎産業(株)
代 表:岩崎芳太郎ほか2名
所在地:鹿児島市山下町9-5
設 立:1928年4月
資本金:8,000万円
売上高:(17/3)180億600万円いわさきコーポレーション(株)
代 表:岩崎芳太郎ほか1名
所在地:鹿児島市山下町9-5
設 立:1943年4月
資本金:8,000万円
売上高:(17/3)55億1,800万円
※グループ全体の年商:(17/3)約450億円関連記事
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