【特別寄稿】日本人は「監視国家」を選ぶのか 高信頼社会を壊す新自由主義の果て
九州大学 大学院比較社会文化研究院
教授 施 光恒 氏
隣国・中国では、政府が国民を監視・管理する「デジタル権威主義国家」が確立しつつある。しかも、中国国民の多くはそれを安全や利便性のために歓迎している。これは日本にとっても他人事ではない。新自由主義グローバル化によって高信頼社会の基盤が崩れれば、日本人もまた監視社会を望むようになってしまうのか。デジタル技術と国民国家の行方を問う。
中国の急速なデジタル化
2年ほど前に中国・上海に行ったことがある。そのとき驚いたのだが、中国のデジタル化は日本よりもはるかに先行している。たとえば、買い物の支払いはほぼすべて電子マネーだ。街角の小さな屋台でもそうだ。上海在住の私の元・教え子(中国人)によれば、現在の中国では職場の飲み会で割り勘にするときも結婚式でのご祝儀も電子マネーでやり取りするそうだ。
デジタル技術を活用した無人スーパーなどもある。買い物客は、店員のいない店舗のドアを、スマホ内の電子マネーアプリでスキャンするか、顔認証を用いるかして解錠し、店内に入る。客が商品を店外に持ち出せば、そのまま電子マネーで代金が決済される仕組みである。
デジタル監視国家・中国
信用スコアによる選別
デジタル技術が中国で急速に普及したのは、政府の後押しがあったからだ。電子マネーの使用が一般化すれば、中国政府はカネの流れを把握できる。脱税や犯罪捜査、ひいては反体制活動の抑止にも利用することが容易になる。
中国では近年、「社会信用システム」や「信用スコア」などと称される、個人や企業の信用を点数化するシステムも運用されている。これは、金銭や物品の貸し借り、納税、犯罪や交通違反などの各種記録を総合し、社会的信用の度合いを点数化するものだ。
「信用スコア」は、複数の民間企業だけでなく、政府方針の下、自治体も運用し、各種のビジネスや政策で活用されている。
民間企業による信用評価サービスとしては、IT企業アリババが主導する「芝麻信用」がある。たとえば、中国ではシェアサイクルが発達しているが、「信用スコア」が低い人は自転車を借り出す際に高額な保証金を要求されたり、自転車を借り出すことが不可能になってしまったりする。
自治体が運用する「信用スコア」もある。伊夢瑛(静岡大助教)によれば、すでに多くの大都市で試験的実装が進められている(「中国の社会信用システムから見る個人情報とプライバシー権保護」『静岡大学情報学研究』第29号、2024年)。自治体が奨励する「善行」(ボランティア活動への参加や寄付、政府政策への積極的な協力など)をすると、ポイントが加点される。逆に、「不道徳・違法」だとされるもの(交通違反、税金や公共料金の滞納、地下鉄内での飲食、ネットでの政府批判の書き込みなど)を行えば、減点される。
「信用スコア」の情報を民間と政府機関が共有し、低スコアの人々に対して各種ペナルティを課すこともあり得る。たとえば、航空機や高速鉄道の利用、不動産の購入、子女の私立学校への入学などに対する制限だ(『日本経済新聞』(電子版)2017年6月9日配信)。
中国では政府主導の監視システムの構築も進んでいる。「平安城市」「天網工程」「雪亮工程」という3つのシステムである。伊によれば、22年時点で中国全土にある監視カメラは6億台近くに上る。中国の全国民14億人を瞬時に識別する大規模な監視システムが構築されているという。
中国では、デジタル技術を利用した政府による国民監視システムがすでに確立しているのだ。
国民に歓迎される監視国家化
意外だが、中国国民の多くは、安全性や利便性の向上のため、監視国家化を望んでいる(梶谷懐、高口康太『幸福な監視国家・中国』NHK出版、2019年)。伊も、20年の北京でのあるオンライン調査の結果に基づき、デジタル技術を通じた政府の管理・統制策に対して、中国国民の不満はさほど大きくなく、むしろ賛同の意を示していると論じる。
ゲニア・コストカ(ドイツ・ベルリン自由大学教授)も、社会信用システムは、中国の多くの人々に支持されているという研究を発表している(“China’s Social Credit Systems and Public Opinion,” New Media & Society, vol. 21, no. 7, 2019)。大都市に住む高学歴、高収入の人々ほど高い支持を表明しているそうだ。
中国国民の多くが、社会信用システムの導入を通じて、治安強化、ならびに偽造商品の流通抑制などビジネス分野での道徳心の向上、ひいては行政機関や司法機関での汚職の防止にもつながると期待しているからである。
実際、『人民日報』(2022年7月26日付)によれば、12年と比べて、中国での殺人、強盗などの犯罪立件数は64.4%も下がっている。社会に対する国民の安心感は98.62%にまで上昇しているという。
監視を望む「低信頼社会」
デジタル管理国家化が多数の支持を得ているのは、中国が伝統的に「低信頼社会」だったからだ。かつてフランシス・フクヤマは、中国やロシアは、家族や親族などの血縁者以外を信頼するのが難しいという意味で、「低信頼社会」だと述べた。他方、英国や米国、日本などは、血縁者以外の人々も信頼することが容易な「高信頼社会」だと論じた(『「信」なくば立たず』三笠書房、1996年)。
これは、梅棹忠夫(生態学者)の「文明の生態史観」(1957年)や汪雲海(一橋大学名誉教授)の議論にも当てはまる(『「権力社会」中国と「文化社会」日本』集英社新書、2006年)。中国やロシアなどのユーラシア大陸中心部に位置する広大な大陸国家では、さまざまな民族が歴史上移動を繰り返してきた。現在も、多様な民族、文化、宗教が混在している。そうした土地では、文化や慣習、常識の共通性に基づき、他者を信頼し、秩序を維持することが難しい。秩序維持のためには強権的統治が必要となる。
他方、日本や西欧諸国は、国土が山や森林、河川で区切られている。大陸国家に比べれば、民族の移動が少なく、文化や宗教の同質性が高い。文化や慣習、常識を共有する人々を信頼し、その信頼に基づき国や共同体の秩序をつくることが容易だった。こうした国々では、政府による統治は国民の自由を認める穏健なもので済む。
このような議論を踏まえれば、中国の人々が、なぜ、デジタル管理国家化を受け入れるのかは理解しやすい。
中国は、伝統的に人々の間の相互不信(低信頼社会)に悩んできた。中国やロシア、あるいは中東のように、人々の移動が歴史的に激しく、異なる文化や宗教(宗派)の人々が入り混じって暮らしている地域では、強権的な政府が好まれることが少なくない。社会が無秩序に陥るよりは、少々横暴で強権的だったとしてもしっかりとした秩序をつくり出す政府を、多くの国民が望むからである。
強権性を隠したスマートなデジタル監視国家化が、現在、中国国民に歓迎されている状態は決して不思議ではない。
日本も中国化するか?
監視を望む国と化す恐れ
デジタル技術による管理国家の到来は、日本でも決して他人ごととはいえない。新自由主義グローバル化路線が続き、「失われた30年」と称される国民経済の地盤沈下がますます深刻化すれば、暮らしの安全や安心と引き換えにデジタルによる監視を自発的に支持する国へと変貌してしまう可能性は否定できない。
日本は今なお「高信頼社会」の代表例だとされる。日本人も外国人も「日本の良さ」として異口同音に挙げるのは次のようなものだ。治安の良さ、街の清潔さ、公共交通機関の正確さ、行き届いたカスタマーサービスである。「日本の良さ」の根底には、日本に暮らす人々が、普段は意識しないとしても、互いに信頼し、配慮し合っているという事実がある。
秩序ある日本社会は、政府が強権を振るったり、国民に罰則を課したりするから実現しているのではない。統計的に見ても、国民1人あたりの警察官数や公務員数は、先進国で最も少ない部類である。にもかかわらず、世界で最も治安が良く、行政サービスも整っている。日本に暮らす我々1人ひとりが内面化している高い倫理観、規律意識、秩序感覚の賜物にほかならない。
だが、こうした日本の良さは揺らぎつつある。その最大の要因が、1990年代半ば以降、歴代政権が「構造改革」の名の下に推進してきた、新自由主義(小さな政府主義)に基づくグローバル化路線である。
グローバル化は、一部の投資家や企業には有利であるが、先進各国の一般庶民には不利な世界、つまり暮らしにくい世界をつくってしまう。グローバル化のため資本の国際的移動が自由になれば、グローバルな投資家や企業(多国籍企業)の影響力が非常に強くなる。
彼らは「人件費を下げられるよう雇用制度や入管制度を改革せよ。さもなければ生産拠点をこの国から移す」「法人税を引き下げる税制改革を実行しなければ、貴国にはもう投資しない」などと、各国政府に圧力をかけられるようになった。その反面、各国の一般庶民の声は政治に届きにくくなり、生活の不安定化・劣化がもたらされた。
90年代半ば以降、我が国の歴代政権も構造改革を繰り返し、グローバルな投資家や企業に有利な偏った国づくりを推進してしまった。
新自由主義が壊す日本の信頼基盤
ここ数年、日本は外国人労働者を大量に受け入れているが、これもグローバルな企業や投資家、その連合体としての財界の要求に耳を傾け続けているからである。日本は、90年代以降、派遣労働を徐々に解禁するなど非正規雇用を増やすことによって賃金を抑制してきた。近年は、それに飽き足らなくなり、低賃金労働者としての外国人労働者や移民を大規模に受け入れる政策をとるようになった。外国人労働者や移民がこのまま増えていけば、日本社会における体感治安は著しく悪化する。
加えて、新自由主義グローバル化路線がこのまま続けば、日本人の高い規律意識、秩序感覚、倫理観を形づくり、次の世代へと継承してきた土台自体が消失する恐れもある。その土台とは、家庭や地域社会である。規律意識や秩序感覚、倫理観というものは、半ば無意識の感覚である。これらは、家庭での日々のしつけや教育、地域社会での人々との関わりのなかで涵養されるものだ。学校教育もこれらの育成に寄与するが、教師が明示的に教えるというよりは教室の掃除や給食当番、学校行事やその準備、部活動の経験などを通じて半ば無意識に育まれるといえる。
家庭や地域社会が、近年の新自由主義グローバル化路線のため衰弱している。少子化の大きな要因は経済的なものだ。厚生労働白書(2013年版)によれば、正社員の男性は34歳までに59.3%が結婚しているが、非正規の者は28.5%しか結婚していない。地域社会の衰退も顕著であり、シャッター街化が進み、農村の過疎化も著しい。
政府の緊縮財政のため、運動会や文化祭など、かつては地域の催しでもあった学校行事も大幅に簡略化されている。部活動も「地域展開」という空文句の下、廃止の方向に進んでいる。
このように、日本人の高い倫理観や規律意識を育んできた家庭、地域社会、学校教育という基盤そのものが、今や大きく揺らいでいる。
外国人労働者の急増と、日本人の秩序感覚、規律意識の摩耗が同時に進めば、我が国の体感治安は悪化し、社会不安は一気に高まる。日本もまた、秩序を自律的につくり出せない社会(低信頼社会)へと転落する可能性は否定できない。
そうなったとき、社会の無秩序化に怯える日本人が、強引に秩序をつくり出すために信用スコアや監視カメラ網を自ら望むようになる恐れは極めて高い。
デジタル技術を活用して
「高信頼社会」の死守を
デジタル管理国家への道を突き進まぬようにするには、どうすればよいか。
最初になすべきは、過去約30年間にわたる新自由主義グローバリズムによる「国づくりの失敗」を自覚し、反省することである。前述の通り、このままでは、現在多くの人々が「日本の良さ」だとするものの大部分が消え去ってしまう。これは、国づくりの大失敗にほかならない。
大失敗の総括と反省を行ったうえで、外国人労働者の手を借りずとも、日本国の運営は基本的に日本人だけで行っていく「真っ当な国づくり」の路線に回帰しなければならない。
国際的には、グローバル化に懐疑的な各国の政治勢力と緊密な連携を図ることだ。その目的は、一国だけでは対抗不可能な資本の国際的移動に対して、各国が足並みをそろえて民主的に一定の歯止めをかけられるような、新しい国際経済秩序を共につくり出すことにほかならない。
そして、国内的には、何よりも「全国各地に、家庭と地域社会を支えることのできる適正な賃金を支払う仕事をつくり出すこと」を国政の最優先目標に据えねばならない。具体的には、安易な外国人労働者や移民の受け入れを厳格に制限し、国内の労働市場を保護することが必須だ。同時に、積極的な公共投資によって地域社会に必要な需要を創出し、労働者1人あたりの生産性を向上させることである。
ここにこそ、我々がデジタル技術を主体的に活用すべき本当の目的がある。
中国のように、人々の監視や格付けのために情報技術を動員するのではない。人手不足に悩む地方の産業やインフラに最先端のITやAIを導入し、生産性を高めることで、日本の労働者の賃金を豊かに引き上げていく。それによって家庭と地域社会に経済的・精神的な余裕を取り戻し、秩序感覚や倫理観を次世代へ継承する土台を再構築する。これこそが、日本が歩むべきデジタルの道である。
秩序の形成を効率的なアルゴリズムに丸投げして国民を管理・教化する社会へ向かうのか。それとも、我が国の誇りである「高信頼社会」の絆を再生し、人間らしい社会を守り抜くための道具としてデジタル技術を民主的に統制するのか──。
我々が今直面しているのは、単なる技術論ではない。国民国家と地域社会、そして人間の尊厳を守る「思想の戦い」にほかならない。
<PROFILE>
施 光恒(せ・てるひさ)
1971年、福岡市生まれ。慶應義塾大学法学部卒。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了(法学博士)。現在、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治理論、政治哲学。主な著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会、2003年)、『英語化は愚民化』(集英社新書、2015年)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書、2018年)、『新自由主義と脱成長をもうやめる』(共著、東洋経済新報社、2024年)など。









