2024年12月23日( 月 )

シシリー島便り・日本人ガイド、神島えり奈氏の現地レポート~資格取得に挑む(中)

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 いよいよ試験日、パレルモ市にあるシシリー州観光振興会議所のなかに設置された試験会場は、試験初日ということもあり、人が部屋の外に溢れ出すほど多く、圧倒された。受験者は私を含め、25人だが、それ以外の見物人の数が圧倒的に多い。応援に駆け付けた受験者の家族や友人、また、後日、試験を控えた受験者たちが試験の様子を見にきていたのだ。

 試験内容はシシリー州全般の各分野にわたる。歴史、文化、美術、考古学、地学、祭り、法律についても細かく問われる。会場前方に長い机が1つあった。10人近い各分野の専門家や大学教授たちが座っている。対面してイスが真ん中に1つ置いてある。日本の面接会場のような雰囲気だ。受験者が座る椅子の後ろに、そのほかの受験者が座り、前の人が終わるのを待つが、日本とまったく違う点がある。試験会場内に大勢の見物人がおり、なかには受験者と関係のない人の姿があることだ。つまり大勢の人の前、公の場で試験が行われるのだ。

 静まり返る室内、全員に緊張感が走る。私は3番目だった。あらかじめ、自分でシシリーを訪れる旅行客のための旅行プランを準備してくるのも試験課題だった。その内容についても質問される。あるいは、内容とは関係のない別分野についても問われた。

 試験結果は、その日の受験者全員が試験を終えた後で、即刻発表された。事前にそういったことを知らされておらず、試験の流れもその場次第という感じだ。実にイタリアらしい。

 すぐに合格発表があることを知らなかったため、試験がとりあえず終了したという解放感に浸っていると、試験監督責任者が合格者名を早口で呼び、嬉しさのあまり泣く合格者や、抱き合う家族が続出した。私の名前も聞こえた。私は飛び上がりたいほどの喜びで胸がいっぱいになり、大きな達成感に包まれたことを覚えている。

 ほかにもいくつか試験経験がある。自動車免許もイタリアで取得した。日本では大学時代にオートマ車限定免許を取得していたが、東京に住んでいたこともあり、まったく運転する機会がなかった。

 当時のイタリアは9割以上がマニュアル車であり、公共交通機関が発達していないこの島で、子どもがいる場合、車の運転は必須だった。というわけで、妊娠中、会社に行きながら教習所に通った。

 イタリアの場合、日本のようにまず教習所内で練習してからということはなく、すぐに実際の道路へ出て教習する。マニュアル車による坂道発進は難しかった。同時に交通規則についても指導を受ける。

 年配の教官は優しく、まったく怒ることなく、「アダジョ、アダジョ(ゆっくりね)」が口癖だった。妊娠6カ月目で、あまりおなかは大きくなっていなかったが、出産前に何とか免許を取得したいと、足しげく教習所に通った。

 筆記試験に合格すると実地試験となる。私のような外国人は考慮してもらえたのか、筆記ではなく口頭試験だった。試験官は無表情な男性だった。すべての問題に正解していた私が憎かったのか、最後の質問で、「車の長さは何mか」という意図の分からない質問をしてきた。私の後ろで試験の一部始終を見ていた教習所の人が、「単なる嫌がらせをしたかっただけだろう」と、あとで私に教えてくれた。

 妊娠8カ月目で実地試験に無事合格でき、免許証を取得した。日本でペーパードライバーだった私が、イタリアで、しかもシシリーで車の運転をするのはかなりの度胸がいると思うかもしれないが、私は「パレルモの人が皆運転できるのだから、私にも絶対できるはずだ」と確信していた。

 シシリーの街中でゆったり運転することは、まずありえない。四方八方、車や人、自転車やバイクに気を付けなければならない。信号は少なく、交通事故は多い。シシリー島の街中での運転は大変だが、一歩町の外へ出ると、田舎の公道は、走りやすく、駐車場も見つけやすい。しかし、街中では駐車場探しが難しい。日本のような立体駐車場はなく、地下駐車場があるが数が少ない。一方、路上で駐車できる場所が多いので縦列駐車がものすごく上手になる。ただ、シシリーでも高齢者ドライバーが増えてきているので、その点には注意が必要だ。

(つづく)

<プロフィール>
神島 えり奈(かみしま・えりな)
2000年上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業後、東京の旅行会社に就職。約2年半勤めたのち同社を退職、単身イタリアへ。2003年7月、シシリー島パレルモの旅行会社に就職、現在に至る。

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