井筒屋が3店舗閉鎖~厳しさ増すデパート業界(4)

~井筒屋について~  【表1】を見ていただきたい。
地方は人口の減少にともなう地域経済の縮小が続き、厳しさが増している。そんななかで井筒屋が7月31日、宇部井筒屋・コレット・黒崎井筒屋の3店舗の閉店を発表した。
~井筒屋の栄枯盛衰の軌跡~  【表1】を見ていただきたい。

<この表から見えるもの>
◆井筒屋は1935(昭和10)年7月30日、小倉市長で旅館「梅屋」の主人でもあった神崎慶次郎氏と門司市で呉服店「井筒屋」を経営していた住岡由太郎氏との共同出資により設立された。以来80有余年の歴史をもつ老舗デパートである。

◆翌年の36(昭和11)年10月に井筒屋(現本店)を開店した。二・二六事件が発生した年である。その年の2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが約1,500名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。これを契機に軍国主義が強化され太平洋戦争へと向かう。45(昭和20)年の終戦を挟んで59(昭和34)年までの間、井筒屋はじっと我慢の時代が続いた。

◆50(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発。53(昭和28)年の7月27日に休戦協定が成立し、日本の戦後復興が本格化していくと、井筒屋も岩田屋と九州の雄を目指して次々と新店舗(10)を開業していった。
・59(昭和34)年11月 八幡店(現黒崎店)を開業。
・65(昭和40)年10月 飯塚店を開業。
・66(昭和41)年  5月 博多店を開業。
・68(昭和43)年  2月 久留米井筒屋店を開業。
・69(昭和44)年12月 宇部店(ちまきや宇部店を継承)を開業。
・72(昭和47)年10月 本店増床。
・78(昭和53)年10月 中津店を開業。
・79(昭和54)年10月 若松井筒屋開業。
・87(昭和62)年10月 浮羽井筒屋を開業。
・98(平成10)年  9月 本店新館が完成。
・2001(平成13)年10月 黒崎店をそごう黒崎店跡(賃貸)に移転。
・08(平成20)年  4月 小倉そごう→小倉玉屋⇀小倉伊勢丹→コレット井筒屋を開業。
・08(平成20)年10月 山口店(ちまきや本店を継承)。

◆西暦に日本の暦を併記している。これから見えてくるのは昭和40年代から50年代にかけて店舗を新設して業容を拡大したことだ。井筒屋の絶頂期だったようだが、それは長くは続かなかった。「昭和」の拡大政策が裏目に出て業績が悪化し、「平成」は次々と閉店していく流れが読み取れる。

◆厳しい経営が続くなか、平成に入って新設したのは親しい小倉伊勢丹の後を受けたコレット井筒屋の開業である。もし高島屋など競合する流通業が入居すると本店の経営に大きな影響がでる可能性があり、本店防衛のために仕方なしに高い賃料を払って入居したというのが本音だろう。それでもコレット井筒屋の撤退を決断したのは、井筒屋が死ぬか生きるかの厳しい経営状況にある裏返しといえるのではないだろうか。

(つづく)

【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】

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