2024年11月24日( 日 )

「家族」という名のまぼろし その2(前)

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大さんのシニアリポート第69回

 出版の準備を進めている『親を捨てる子 子を捨てられない親』(仮題 平凡社新書)のテーマは「家族」である。家族関係が崩壊していることで、親の介護を放棄する子が急増している。わが子による「棄老」である。それを、私が運営する「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)を中心とする地域でおきた「棄老事件」と、「棄老」に至るまでの要因を検証し、自分なりの解決策を提唱した作品である。

 父親の介護を放棄した「棄老事件」は、若いころの父親の放蕩による「子捨て」が原因で、その仕返しとして「棄老」にいたったという事件だった。「棄老」に至るまでにはさまざまな要因が秘められていることは理解していた。実際、その要因というべき多種多様な事件がこの地域にも起きていた事実を知り、衝撃を受けた。すでに子どもへの育児放棄や虐待、家庭内暴力などのさまざまな事件が起きていた。
 その最たるものは、子どもへのネグレクトだろう。ネグレクトとは「怠慢・無視・放置の意。養育者による、子どもに対する不適切な保護や養育。衣食住を十分に世話しない場合や、精神的・医療的なケアを十分に行わない場合など、栄養不良や発達障害などを引きおこすほか、人格形成に多大な影響を与える可能性がある」(「スーパー大辞林」より)のことである。これはそのまま「高齢者へのネグレクト」としても十分にあてはまる。

 昨年2月から「ぐるり」ではじめた「子ども食堂」は、親による子へのネグレクトが原因だった。社協のY相談員(社会福祉士)が、問題のある家庭を訪問し、家の台所を見て衝撃を受ける。シンクもなにもかも新品同様。きれいに使っているのかと思ってよく見てみると、使った形跡がない。つまり料理をしていないのだ。近くのスーパーで、でき合いの総菜を買い、それを皿に盛りつけテーブルに出す。味噌汁くらいはつくると思うのだが、味噌汁もインスタントなのだろう。いや、味噌汁ではなく炭酸飲料水やジュースがあたりまえなのかもしれない。

 休日には学校給食がない。親が外出する。テーブルには数百円の小銭のみ。子どもたちが栄養のバランスを考えて買い物をするとは考えられない。好きな菓子を買い込んで食べる。親のいない、子どもだけの食事はおそらく全員バラバラ。子どもの「孤食」である。家族で食卓を囲むという習慣がない。「親が子を捨てる」。この忌まわしい言葉には、何より、母親が育ってきた環境(母親の子ども時代、親から受けた愛情の濃淡など)が大きいといわれている。親によってネグレクトされた子は将来、逆転したかたちで親に向けられる。「棄老」の要因がここにもある。

 一昨年夏、真夜中に「ぐるり」常連の浜本さん(仮名)が、我が家の扉を激しくたたいた。「娘に殺されそう。助けてほしい」という。顔の左半分と腕に内出血の痕が見えた。理由を問うと同居している長女に身体を押され、その弾みで食器戸棚の角に顔と腕をぶっつけたという「家庭内暴力」だった。社協のY相談員と浜本さんが面談。シェルター(といっても正式なものではなく、Y相談員の顔の利く施設)に一時浜本さんを預け、その間に浜本さんの長女と面談し、解決策を模索することにした。ところが、長女と連絡を取り合っているさなかに、肝心の浜本さんがシェルターに無断で帰宅してしまう。

 「共依存ですね」とY相談員。共依存とは、「アルコール依存症の家族の世話などの、長期にわたる報いのない抑圧的な状況を経験することで、自信や個人としての意識を失ってしまうこと」(スーパー大辞林)とある。「長女の窮状を救うのは自分しかいない」と、どのような仕打ちを受けても「救えるのは自分のみ」とすり込まれてしまい、体罰にも耐えようとする気持ちなのだ。離れられない関係なのだろう。また「ギャンブル依存症」による親子関係崩壊も起きた。
 数年前に起きた子どもの虐待事件。母親の恋人が小学校一年の長男を裸にして逆さづりのまま、たばこの火を押しつけたのだ。男(恋人)のいうことを聞かない子どもへの「教育的しつけ」だといった。母子家庭の場合、恋人と称する男性が家庭内に入り、母親の子どもに虐待するケースが目につく。虐待を受けた子どもが将来、年老いた親の介護(看る)をするとは考えにくい。わが子にネグレクトや虐待した経験のある親は、結局、「子どもによって捨てられる」ことになる。

 前回、「棄老」の原因にはハード面(住宅)とソフト面(儒教)があるといった。簡単に整理しよう。日本住宅公団(現・UR)のコンセプトは「居住者輪廻」、つまり、サラリーマンの住居者は、年功序列で収入が増え、やがて戸建住宅やマンションを購入し、公団からでて行く。空いた部屋には新規入居者が入居。こうして空き室は常に回転(輪廻)していくと考えていた。実際には、子どもたちは就職や結婚を境に公団から出ていく。いわゆる“核家族化”である。そこに「棄老」の一因があると思う。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

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