シシリー島便り・日本人ガイド、神島えり奈氏の現地レポート~シシリーの街・村をめぐる(前)
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今回はプチバカンスでシシリーの小さな街や村を巡った。パレルモを朝8時半過ぎに車で出発して、カターニア方面へと向かう。高速道路へとつながる幹線道路には、道路わきにたくさんの速度測定機が設置されている。そのため、多くの車がスピードを落とすので目的地に着くのに時間がかかってしまう。また先月ジェノバで40人以上の犠牲者を出した高速道路の高架橋崩落があってからは、いたるところで道路工事が目立つようになった。
130kmほど走るとシシリー島の真ん中あたりに位置するエンナの街が向かって右手に見えてくる。エンナはヨーロッパで、最も標高が高い県庁所在地がある街で、大学もあって学生も多い。左側の山側にも街が見える。こちらはカラシベッタという街である。
エンナには、かつてロンゴバルド族の駐留地だった場所にノルマン時代の城跡が残っている。シシリー島は東西南北で風景も異なれば、都市整備、高速道路事情も異なる。高速道路にサービスエリアがない西側に対して、東側はトイレがある休憩場が多い。エンナを横目に見ながら、10分程、サービスエリアでコーヒーブレイク。
シシリー人は本当におしゃべりとタバコが好きだ。グループでタバコを吸いながら、楽しそうにたむろしている。高速のサービスエリアにいるということは、皆何らかの目的で遠出をしている人たちだろう。平日だが、夏休み終盤のせいか、わりと人が多い。休憩をとり、さらに高速を走ること1時間半。ようやく目的地のブロンテに到着した。15世紀、イスラムトルコ軍に追われ、命からがらシシリー島にきた人々は、モンレアーレ司教の管轄下にあり、保護されながら、慣習、言葉、文化などに関し、わりと自由な生活を送っていた。その後、カール5世の統治、たびたびのエトナ山噴火によって、多くの打撃を受けている。
今日、この街は、“緑の金”と呼ばれるピスタチオで世界的に有名になった。ピスタチオはシシリー島内のさまざまな場所でつくられているが、エトナの溶岩が固まってできた「ラバ」と呼ばれる黒い石を源にして生まれたエンナのピスタチオは、イタリア政府から最高級品だと認定されており、味はお墨付きだ。
ブロンテのピスタチオは、味が大変繊細だ。一般的に、ピスタチオは、ジェラートやぺーストなどの料理ソースに使い、シシリー産でも濃厚なものが多い。しかし、ブロンテ産のピスタチオは、口に入れた瞬間、さわやかな食感が広がり、後味がくどくない。120%おいしいと断言してもいい。この街にはほかにも見どころがある。ブロンテ生まれのイグナチオ・カピッツィという神父が、18世紀に造った神学校だ。現在もカルチャースクールとして使われており、一階の奥は現代アートミュージアムとして使われている。構内の教会と祈祷所は美しいバロック様式だった。
2階の図書室も一見の価値がある。古いものだと16世紀の書物が大切に保管されている。何とも興味深いのは、1500年代に書かれた世界地図である。イエズス会士がヨーロッパ各地に渡り、世界各地へと布教していた時代だ。信長の時代、日本へもイエズス会宣教師たちがやってきた。そんな彼らが故郷へ持ち帰った知識、文化により、さらなる発展へとつながった。
1人ではもち上げられない程、大きく、厚い古書を、注意しながら読む。500年近い昔に描かれたものだが、つい昨日描かれたばかりのようだ。地名が手書きで書かれているが、まるでコンピューターで書いたような文字に見える。しかし。よくみると微妙な違いがあるのがわかる。当時の書物にはいまだ色あせない魅力があり、溜息がこぼれるようだった。帰りに館長からお土産にと小瓶に入れた名物のピスタチオをいただいた。
ブロンテの人口は約2万人。ピスタチオ以外にも、繊維工業が盛んで工場地帯に、ジーンズメーカーの工場がある。過疎化が進み、失業率が高いこの島にあって、ブロンテは農業も盛んな恵まれた地方で、その証拠にブロンテの人々の平均年収はシシリー島のそれを上回っている。
ピスタチオの収穫は1年おき、今年は収穫年ではないそうだが、ピスタチオ祭りは毎年9月末に開かれる。午後1時半、お昼の時間になり地元の人々は、昼食の支度にかかり、街は一気に静かになる。次の街へと移動しよう。
エトナの標高200mほどの公道を走る。神々しいエトナ山は、9世紀の時代から地獄への入口だと人々が恐れていたという。モクモクと山頂から出る煙を見ると、いつか登ってみたいという欲求にかられる。
この季節は、まだ緑色のクリの実が、木にたくさんなっている。向かう街はランダッツォだ。ランダッツォにはブロンテから1時間ほどで到着する。まだお昼どきだったので、教会はどこも閉まっていて、街中も静かだ。ゴミが見当たらないきれいな街である。小道にある植木鉢には花が飾られ、北ヨーロッパの街並のようだ。(つづく)
<プロフィール>
神島 えり奈(かみしま・えりな)
2000年上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業後、東京の旅行会社に就職。約2年半勤めたのち同社を退職、単身イタリアへ。2003年7月、シシリー島パレルモの旅行会社に就職、現在に至る。関連キーワード
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