2024年11月24日( 日 )

「新しき村」にまぼろしの家族を見ることができるのか(後)

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大さんのシニアリポート 第70回

 米や鶏卵、野菜類などの相場に影響されるものの、経営は比較的安定(取材当時)していた。「個人費」と呼ばれる給料は月3万円、「特別個人費」(ボーナス)年2万円。合わせても年収40万ほど。生活できる金額ではない。ただここでは衣食住の費用は無料。子どもに対しても大学卒業まで500万円の教育基金が用意されている。村内で生活する分には生活費がかからない。貯蓄に励む村民もいた。しかし、若い村民はマイカーのガソリン代に消えてしまう。昭和21年に夫婦と子ども2人で入村した長老格の渡辺寛二さん(当時84歳)は、「入村当時は一汁一菜もなし。野草と麦飯が主食でした。正直、先生(実篤)の原稿料に頼る生活が続きました。農作業の合間を縫って、文学や芸術にいそしみました」と語った。村の決定事項はすべて会議で決められる。発言権は平等に保障される。多数決は採用しない。「少数派の集まりだから」という実篤の思想を受け継ぐ。だから問題によっては会議が長時間にわたり、もめることも少なくない。 

 入村の条件は1年間の仮入村の後問題がなければ(村民会議の了解後)本入村となる。村人の大半は、実篤の著書に触発されて入村を決めたといった。「新しき村」を支援する外部団体(村外会員)も存在する。村外会員は全国に700人(取材当時)。会費500円。『新しき村』という月刊誌が無料配布される。毎週木曜日、東京神田神保町の「新村堂」(皆美社2F)で「木曜会」という名前の集会を開く。村への提言や、『新しき村』の執筆・編集にも携わる。支援のためのコンサートや村の様子を紹介する展覧会などが企画される。 

 「平等の精神は、一方で指導者の欠如、責任の放棄、自力更生の力をも削いでしまう危険性をはらんでいる」と私は書いた。実際、前出の渡辺寛二さんは、「入村者には、先生(実篤)の都合の良い部分だけ勝手に汲み取る人もいましてね。6時間働けばいいと思っている人がいます。誰も労働時間を6時間と決めたわけじゃない。部署や時期によっては6時間ですまない人も出てきます。せめて6時間は働こうという精神なんですが…」と嘆いた。取材中、労働時間や仕事内容に不満を漏らしたり、「あの人は仕事をしない。怠け者」と名指しで非難する村民もいた。「共同生活はトラブル続き。先生は『仲良きことは美しき哉』と好んで書いたが、それだけ仲裁で苦労したと思う」と同紙上で、村の現理事長寺島洋さんが述べている。 

 姜はある開墾地の史実を紹介した。「入植当初、生産量によらず利益は均等配分と決めながら、やがて大げんかになった。『各人の働きは違うのに、同じ収入では不公平だ』という不満だった。単一の目標で共同体をつくると必ずおかしなことになる」(同)と。「別の生き方の目標があれば違ってくる。新しき村では芸術だ。展示室には住人らの絵画、陶器、詩歌、彫刻、舞台の写真が時を超えて輝きを放っている」(同)と記者は書く。「細々とはいえ、村はなぜ続いたのか。帰り道、姜さんはこう言った。『イズム、ドグマから無縁の世界をつくったからでしょう』」(同)。残念ながら村民数は確実に減り続けている。 

 「新しき村」に桜井がいう「NPO、ボランティアグループ、互助組織といった集団的な『生存戦略』」があるとは感じられない。日本会議の掲げる「『伝統的』な家族観の固守」はもはや絵に描いた餅だ。せめて気の合う仲間同士がシェアする住宅での協同生活、もしくは高齢者(独居含む)同士が近距離で支え合える仕組み(小さなコミュニティでもいい)。行政が提供するセーフティネットを巧みに利用しながら、行政の“縛り”には与(組)せず、仲間同士の自然な成り行きに任せたいのだが…。こうして「崩壊した家族の再生」は、依然として困難を極めている。 

(了)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

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