100年の大計・都市福岡の大改造が進む チャンスをつかむ地場不動産業者
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「天神ビッグバン」をはじめとする大改造が進み『国際都市福岡』の勢いが増している。この勢いに乗じて新規事業家たちの進出が予想されるが、密度のある都市に発展するほど不動産業界は質的転換が求められる。挑戦することなく過去の蓄積に依存すれば衰退の道をたどる。ここでは不動産業界の栄枯盛衰の一例をレポートする。
世界のITベンチャー企業たちも惚れ込む都市福岡
6日夕方行われた『Fukuoka Growth Next』の講演会にYou Tube共同創業者チャド・ハーリー氏、「Apple」共同創業者スティーブ・ウォズニアック氏の2人が招かれた。この2人がそれぞれ「事業立上げから成功」までの経緯を熱弁してくれたのである。この記念講演を大学生・高校生たちが食い入るように聞いていた。同講演会に参加した若者たちのなかから未来の「スタートアップ」を担う人材が必ず誕生するだろう。
今回の講師2人はアメリカ、いや世界でも有名な起業家たちである。過去、来福したなかでも最高級の経営者たちだ。この2人に共通しているのは「福岡という都市は日本でも有数の活力があると聞いていた。一度、福岡にきたかった」という福岡に対する強い想いを抱いていたことである。立場には多少、差異があるかもしれないが、日本にIR(カジノを含む統合型リゾート)をもち込む企画を練っている経営者たちも福岡に恋い焦がれている。近々、密かに来福するとか、しないとか――。
ここで強調したいことは「都市福岡」が単なるインバウンド客だけを魅了しているわけではないということである。確かにキャナルシティ博多には外国人客が押し寄せている。4階にある寿司屋には27人の客の内、外国人が25人を占めている光景を目撃した。「都市福岡」の将来性が、ただ観光業だけではない。「『スタートアップ』の無限の可能性がある都市」という認識をもつべきだ。いうなれば「ミニミニシリコンバレー」の可能性を秘めているということである。
中世都市博多の勢いが復活か
博多は中世時代=平安時代~鎌倉・室町時代~戦国時代終了(1100年代~1600年)まで全国有数の商都であり、戦国時代には堺と対抗できるだけの実力があった。ところが江戸時代になると、博多は全国では中規模の城下町に転落している。明治時代も同じ流れの延長上にあった。中世時代に誇った繁栄の面影を失っていたのである。
『都市福岡』の成長に勢いが戻ったのは1975年3月に山陽新幹線が開通してからである。そして現在、中世の博多同様の勢いが復活するところまできた。現在の地名=御供所町、上呉服町、店屋町、冷泉町には唐人街があって国際ゾーンでは盛大な商取引がなされたと聞く。だからこそ『福岡都市づくり100年の計』を練り上げて中世時代の唐人街に匹敵する国際地域の創出をすべきだ。4代前の桑原市長(3期:1986~1998)が唱えた『アジアの玄関口・フクオカ』がようやく実現したと評価できるまでになった。
今後、『国際都市福岡の勢い』に便乗して事業マインドに燃えた事業家たちが続々進出してくるだろう。とくに密度のある都市に発展すればするほど不動産業界には質的転換が求められる。この質的転換に成功した業者ほど別次元の成長が可能である。いくら過去の蓄積があるとしても挑戦することを忘れれば衰退の道をたどる。
ここでは不動産業界の栄枯盛衰の一例をレポートしてみよう。老舗大地主の低迷
福岡の大地主として有名だったのは渡辺家・太田家・大神家の三大家だった。この三大家の起源は江戸時代まで遡る。まず近年、挫折した筆頭に挙げられるのは大神家グループである。大神家グループの中核企業(祥雲)は平成初頭、バブル崩壊のあおりを受け倒産した。祥雲を引き継いだ大神家の当主は「衰退の焦りと家運の盛り返しの使命」と交錯した課題解決に迫られていた。一時期は派手な学生採用イベントを展開していたことも記憶に新しい。大神家の名誉のために補足すると大神家の血脈のある分家の多くが福岡市の各地区で手堅い不動産経営を行っている。
続いて太田家を代表する企業は九州勧業(株)である。太田家と他2社の老舗との差異は、太田家の頭領がいち早く上京したことだ。太田家は一福岡の名家から中央で名を馳せるようになった。その中核企業が東邦生命である。この保険会社を活用して中央での政治力も蓄積した。しかし、その政治力が裏目となり東邦生命も断り切れない融資に巻き込まれた。結果、この本丸企業が行き詰まり、会社を手放す羽目となった。
余談だが、太田一族である太田誠一氏が代議士を務めていた。この一族は昔々、博多大丸百貨店の筆頭株主でもあった(現在は本社大丸の直轄的存在になっている)。太田誠一氏は悪辣な銭に執着する政治家ではない。育ちの良さが「政治資金は自前で調達するもの」という清々しい信念を持続させた。結果、政治家として引退する際には相続していた資産の大半を手放す事態となった。
現在の福岡で太田家を代表する企業は九州勧業である。都心部に一等地を有して安定的な家賃収入を得るビルを持っている。しかし、頭の痛い問題が1つあった。九州勧業が出資した(株)ホテル日航福岡である。同ホテルは長期にわたって赤字計上を余儀なくされていたが、直近3年間、ホテルの業績は回復した。しかし、ライバルとなる都ホテルの営業再開もあり、今までのように前途を楽観視することはできない。
紙与産業~当主の顔が見えない
やはり福岡の地主の顔といえば渡辺家である。「渡辺通り」と呼ばれるほど中心部に莫大な不動産を有している。中核企業は紙与産業(株)・紙与不動産(株)である。この渡辺家のグループ企業は不動産以外にも他業種で優秀な企業を生み出してきた。戦前戦後、この渡辺家は地元福岡にそれなりの貢献をしてきた。ところが最近では福岡での財界活動には一切関与していない。だから誰もが渡辺家の当主の顔を拝顔していないようである。堅実な不動産投資は継続中であるが、大胆な展開構想は練られていないようだ。
100年以上の歴史を有する名門が、強い事業魂を持続し続けるのは至難の業である。2代目、3代目になれば裕福に育つのが至極当たり前。創業者とは心構えがまるで違う。3家(実質は2家)とも「都市福岡100年の計」を練り上げ、実行できるビッグビジネスチャンス時に有効な手を打てないことは共通している。そのビジネスチャンスを不動のものにするべく布石を打っているのが、3家と比較すると新興勢力といわれる福岡地所(株)である。同社は天神ビッグバンの先陣も引き受けている。
自己資本6倍の開き、福岡地所と紙与産業・紙与不動産
老舗は守り、新興勢力・福岡地所は積極果敢に展開するという時代背景を認識したうえでの比較である。官報から得た貸借対照表を紹介する【図】。九州勧業の総資産は179億円、株主資本=自己資本が80億円になる。前述したように現在のホテル日航福岡の好調な業績を維持できれば同社の自己資本は増えていくだろう。ただ今後、飛躍的な投資を実行する様子は見受けられない。
紙与産業・紙与不動産2社の総資産は216億円、自己資本102億円である(14年3月期)。この2社と比較して新興勢力にあたる福岡地所の18年5月期の貸借対照表が入手できた。ここで驚くべき事実が判明した。福岡地所の総資産1,455億円、純資産(自己資本)592億円である。九州勧業との比較では総資産で約8倍、自己資本で約7倍の開きがあるのだ。
紙与産業・紙与不動産2社との比較では総資産約7倍、自己資本約6倍の開きがあった。この対照的な財務数字を知れば、地元の経済通は隔世の感を覚えるだろう。新興勢力と老舗のお互いの関係はライバルというレベルではない。また福岡地所だけでなく、新興の不動産業界の躍進企業が今後続々と現れてくるであろう。
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