検察の冒険「日産ゴーン事件」(15)
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青沼隆郎の法律講座 第20回
検察完全敗訴論
(1)度外れた検察御用達報道
金融商品取引法(以下金商法)第197条の罪を俗称的に表現するなら「有価証券報告書虚偽記載罪」ではなく、「有価証券報告書[重要事項]虚偽記載罪」でなければならない。重要な事項についての虚偽記載のみが罪となるからである。(以下同罪)
しかし、同罪の報道をする記者であれば、少なくとも、金商法の現物で条文文言の確認をするぐらいは最低でも報道者の職業倫理(視聴者に対する責任)として必要である。
そこで、第197条を実際に見ると、例の通り、多数の条文の引用による記述で、すぐには有価証券報告書の記載に関する虚偽記載が罪になるとは素人には理解できない。引用された条文を1つ1つ確認して初めて、有価証券報告書の「重要な事項につき」同罪が成立することがわかる。そして、まともな記者なら次に「重要な事項につき」という意味を理解することが困難であることに気付く。普通に日本語として理解すれば、「重要な事項につき」という文言は、多数の事項のうち、特定の事項が重要と判断・区別されると理解される。しかし、そうであれば、特定事項として区別されたものを、それこそ個別に事項名を列挙する必要があり、またそれで十分である。しかし、そのような「特定事項の個別列挙」はない。そうであれば、有価証券報告書のすべての事項が、その具体的記載内容によって、重要と判断されたり、重要でないと判断されたりすること、つまり、重要性の判断は「絶対的」判断ではなく、内容の程度・性質に依存する「相対的」判断と理解する他ない。こうなれば、重要性の判断は企業会計の極めて専門的な知見を必要とする可能性があることが、素人の記者にでもわかる筈である。
そして、さらに困難な問題は虚偽記載という場合の虚偽の意味である。重要性の相対的判断にともない、虚偽性の判断にも当然、重要性の相対的判断にともなう、相対的虚偽性の問題を生じる。たとえば、わずかな金額についての齟齬であっても絶対的な意味では齟齬であるが、相対的には無視できる齟齬であれば、相対的な判断では虚偽性はないことになる。
そして、この相対的判断の基準となる比較対象基準は何か、という最大の「解釈問題」が存在することが論理的に理解される。多数の識者の見解で共通していることは、金商法が金融商品(つまり株式)の取引に関わる投資家・株主の保護にあることは疑いなく、投資家・株主にとって、その投資判断に影響する程度の内容であることが判断基準の1つである。つまり、投資家が有価証券報告書の多数の掲載情報(事項)のうち、投資判断の際に考慮する程度のものであることである。
以上の論理的解釈(これを法律学の用語では[文理解釈]という)は何よりも検察官に必要である。記者は自分にはできなくとも、検察官がこれらの要件をクリアしたうえでの立件であることを確認する必要がある。これらの確認行為が一切なく、ただ検察のリークのみを「関係者によれば」との枕詞で報道する姿勢は、結果として粗悪な情報の垂れ流しとなる。(つづく)
<プロフィール>
青沼 隆郎(あおぬま・たかお)
福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。関連記事
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