イラン戦争と国際法(後)

 NetIB-NEWSでも「BIS論壇」を掲載している日本ビジネスインテリジェンス協会(中川十郎理事長)より、元国連日本政府代表部大使や元国連事務次長を歴任した赤阪清隆氏による「イラン戦争」についての論考を共有していただいたので掲載する。

国際法違反を明言しない日本と
西側諸国

 日本でも、日本反核法律家協会や自由法曹団、さらには被団協などの市民団体が、イラン攻撃が国際法違反であるとの声明を出していますが、日本政府は、今回のイランに対する武力攻撃が国際法違反かどうかについては、言及を避けています。高市首相も、記者会見や国会での質問に対して、 当初から邦人保護、原油価格の高騰対策、ホルムズ海峡における航行の安全、エネルギーの安定供給などについて発言していますが、この法的問題については直接の言及はしていません。

 目下のところ、日本政府同様、西側諸国の多くも、国際法違反であったかどうかの判断を公言しない方針を取っています。一部の政治家による発言が散発的にあるぐらいです。また、違反か違反でないかの判断は解釈によって異なるとする、国連や国際機関でよくみられる、いわゆる「灰色措置」の考えを表向き提案する国も見当たりません。

国連憲章秩序を揺るがす
大国の武力行使

 このケースにとどまらず、最近、安保理決議に基づかないで武力行使が行われ、「国連憲章違反」の疑いを指摘される事案が下記のように増加しています。これまで、中露北朝鮮による国連憲章や国際法違反行為が目立っていましたが、最近ではこれに加えて、トランプ米政権が同様の行為を繰り返すようになったのが際立っています。 

  2026年1月の米国によるベネズエラ攻撃とマドゥロ大統領夫妻の拘束
  2025年6月の米国によるイラン核施設空爆
  2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻
  2017年の米国によるシリア核施設攻撃
  2014年のロシアによるクリミア併合
  2007年のイスラエルによるシリア核施設攻撃
  2003年の米国などによるイラク戦争
  1999年のNATOによるコソボ人道的介入

 このような大国による国連憲章無視の武力行使が今後とも続き、しかもそれに対する国際社会および国連の無気力な対応が続くようであれば、第二次大戦後営々と築かれてきた国際秩序が崩壊しかねません。その結果、法の支配が守られない、弱肉強食の「ジャングルのルール」が支配するようになってしまう危険性があります。

「違法」と「正義」の狭間で
問われる新たな国際秩序

 そろそろ結論に入りましょう。私は、一見国際法違反と目されるような武力行使については、見て見ぬふりをして見逃すのではなく、「灰色措置」としての判断も含めて、何らかの理由でその行為が正当であったかどうか、あるいは正当化することができるかどうかを検討してみてはどうかと思うのです。これは違反行為を追認しようとするものではなく、その行為そのものが、そもそも違反とされる性質のものではなかったといえるかどうかを検証しようというものです。正当化できる条件を明確にして、厳格に検証すれば、そのような違反行為が繰り返されるのを防ぐ有効なタガになり得る気がします。

 過去には、1999年のコソボ紛争の際のNATOの介入のように、安保理の承認が得られなかったものの、国際法を超える「正義」や「人道」などの概念を持ち出して、正当化を図った例があります。武力行使を正当化するのに苦しんだトニー・ブレア英首相や、コフィー・アナン国連事務総長の当時の苦悩話は有名です。

 国連は、1990年代のルワンダやスレブレニッアでの虐殺を見逃したトラウマのなかから、コフィー・アナン国連事務総長が奮闘して、2005年に、「保護する責任(R2P)」の国際的な合意を得ました。これは、国家が自国市民を保護せずに殺戮の対象とするような場合に、国際社会に人道的な武力介入を認めるものでした。しかし、いかんせん国連憲章の枠組みから脱することはできず、武力介入には安保理の承認を必要としたために、リビア内戦で成功裡に実践された後は、常任理事国の拒否権行使により機能不全に陥ってしまいました。

 今回のイラン戦争については、米国とイスラエルは、イランからの脅威が差し迫っていたから自衛権を行使したとの説明をしていますが、その主張に無理があるのは、上述の国際法学者の説明に明らかです。他方、国際法違反の疑いが濃いにもかかわらず、日本を含めた西側諸国が声高な批判を控えているのは、トランプ大統領への忖度という政治的な配慮があることに加え、イランがその専制的な国内弾圧政治とデモ隊の殺戮、対外的なテロ行為、さらに核兵器製造疑惑といった国際ルール違反の諸問題を抱えていて、国際社会の不信と非難を招いてきたからでもあると思われます。

 そうだとすれば、国際秩序が重大な人権侵害や安全保障上の危機に十分対応できていないような特別な場合には、国際法を超えた「正義」に基づく武力介入が認められることに、国際的なコンセンサスは得られないものでしょうか?何が「正義」なのかについて議論が百出するでしょうから、国連でそのようなコンセンサスが容易に認められるとは期待できないと思います。しかし、恣意的な介入の正当化につながる危険性を十分承知のうえで、有志連合のようなグループ間で、あるいは、場合によっては日本独自で、そのような概念づくりを検討してみてはどうでしょうか?

 日本はほかの西側諸国同様、「法の支配」を守るべき国際的な基本原理と公言はしていますが、実際上は何かにつけて、ルールの一言一句に従うことを金科玉条のように求める傾向があります。「法の支配」というときの法は、単なる法律の字句ではなく、そもそも法ができた際の価値観や基本的な精神というものを指しています。それは、基本的な法の大目的としての「正義」の実現にあるのではないでしょうか?

 上述の通り、「保護する責任」(R2P)は、国連憲章の枠内での武力介入を認めたに過ぎなかったために、安保理での拒否権行使の壁にぶつかってしまっています。この壁を破るのは至難の業ではありますが、そもそもなぜ国連憲章ができるに至ったかに思いいたせば、現存の国連憲章条文を超えて新たな可能性を探る試みは、難しくとも、やってみる価値があると信じます。少なくとも、そのような努力は、国連憲章や国際法を無視した武力行使がこの先も続く可能性に、「タガ」をはめる効果が期待できるのではないでしょうか?

 イラン戦争については、毎日、いろいろと考えあぐねることが多いものですから、大変長い「話のタネ」になり恐縮です。皆さんから忌憚のないコメントをいただけましたら、大変幸いです。

(了)

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