映画『人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり』を観て(後)
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大さんのシニアリポート第75回
津端は高蔵寺団地の一角に終の棲家となる土地を購入し、広いキッチンガーデンのある平屋をつくり、妻の英子とここで40年暮らした。映画は90歳の夫(修一)と97歳の妻(英子)、そんなふたりの日常生活を丹念に描き続ける。300坪の土地には畑と手づくりの雑木林。そこに70種類の野菜と50種類の果物をつくり、英子がジャムやおいしい食事に仕立て上げる。スローライフのさきがけをいくふたりの日常は、「ときをためる暮らし」と評判を呼び、多くの女性誌に紹介され、単行本にもなった。
木造平屋建て30畳の広い家には、玄関がない。庭からいきなり居間に入る。間仕切りもないから、食卓もベッドも丸見えだ。天井がないため頭上は限りなく高く、光を取り込む高窓は手づくりの長い棒を使って開け閉めする。
かつて師事したアントニン・レーモンドの自邸を模して建てた。丸裸の裏山にクヌギを植え、雑木林とした。「里山の復活」を提唱し続けてきた津端の原風景がここにある。徹底して合理的に造られた高蔵寺ニュータウンの片隅に、すべて手づくりの住居を構え、自然に委ねた生活を送るというのは、いささか皮肉めいている気がした。
ある日、九州のとある施設から設計の依頼を受ける。津端の理想をふんだんに盛り込んだ、自然のなかに建物がある配置デザインを提案し、絶賛される。しかし、その完成を見ることなく永眠した。亡くなった津端の顔のアップをカメラは延々と写す。「メディアが死を描くことを遠ざけすぎているので、死を見つめることができなくなっている、という思いがあった」とプロデューサーの阿武野勝彦はいう。
拙著『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書 平成31年2月15日発売)に、これから必要とされる共同住宅(コミュニティハウス、コーポラティブハウス)のモデルとして、大正末期から昭和初期に建てられた同潤会アパートメントを取り上げた。「同潤会アパートメントの持つ魅力の1つは、共同施設の存在であり、また、モダニズム建築とは異なった装飾性がまだ残る古めかしいデザインにあると思う。この共同施設こそ、すっかり忘れ去ってしまった“一緒に住む”“共同で住む”ということの意味を、我々に問いかけているのである。そしてまた、今日、煩わしいものとして捨て去った共同施設こそ、1人で生きてゆけない人間の弱さを感じさせているようにも思う」と『同潤会に学べ――住まいの思想とそのデザイン』のなかで建築学者・史家の内田清蔵が述べている。またこれらの施設を「人と出会う、食事をする、気晴らしをする、客をもてなす、入浴する、養生する、音楽を楽しむ、子どもたちを遊ばせる……このようなすべてが、同潤会の目からは共同生活の質に欠かせない要素であった」とフランス人建築家マルク・ブルディエはいい、『同潤会アパート原景』で取り上げた理由となった。
私は、戦後に建てられた公団の狭い集合住宅を「ウサギ小屋」と称して、「狭い故に成長した子どもたちは家を出た。それが“棄老”の原因をつくったひとつ」と書いた。しかし、津端修一や前川國男たちが設計した昭和30年代初頭の公団住宅にも、同潤会アパートメントに込められた「一緒に住む、共同で住む」という理念を掲げた住宅があったのだ。
最後に、映画のナレーションを担当した樹木希林の言葉を書き添える。「風が吹けば、枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり…」。いつの時代でも、人と自然の調和を無視した暮らしは、人間そのものの存在を否定する。そして家族も国も滅びる。
(了)
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