【追悼文】黙して行動で規範を植えつける指導者~サンコービルド社長 故・岩野義弘氏
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(株)サンコービルド社長・岩野義弘氏が2月13日に67歳で逝去された。社長として陣頭指揮をしながら闘病に明け暮れていた日々であった。まさしく最後まで「黙して行動で規範を植えつける」指導者を貫いた。本当に頭が下がる。
通夜は15日、葬儀は16日、会社と岩野家合同葬として中央区平和にある草苑でしめやかに行われた。16日の葬儀には取引先・関係者・友人総勢450人が参列された。友人を代表してサンコーホールディングス(株)社長・園村剛二氏が追悼を述べた。
「岩野君! どうしてこんなに早く先立ったのか。あまりにも早すぎる旅立ちであった。会社で知り合って40年間、苦労を分かち合った最大の友人であった貴方とは若い時代には遊びあったものだ。最良の友人の逝去の現実に直面して涙が流れるばかりである。会社のことは心配しなくて良い。いずれ私も追いかけていく。また別世界で会える機会を楽しみにしている」。
園村氏と故人・岩野義弘氏とは2歳の開きがある。園村氏が年上でサンコービルドの今日を築いた功労者の2人だ。そしてお互い戦友の間柄である。入社歴は岩野氏のほうが古い。若いときから現場で苦労し、酒を飲み交わしながら将来の建設会社のあり方について激論していたと聞く。
故人のプロフィールを紹介する。熊本県立熊本工業高校建築科卒業。三井鉱山(株)(現・日本コークス工業(株))に入社する。本店建設事業部を経て1983年にサンコービルドへ出向、1999年に移籍。故人・岩野氏の組織原点は三井鉱山にある。参列者の方々が異口同音に「サンコービルドの社員の方々は礼儀正しく結束が強い」と褒める。
確かにサンコービルドの社員は皆、真面目で己の分を弁えている。普通ならばゼネコンの場合には必ず「俺が会社を背負っているのだ」という自画自賛の人物が存在しているものだ。別に批判しているのではない。迫力ある人材は必要ではある。ところが同社の場合はある意味、あくの強い個性溢れる人材は稀有だ。やはり社内には集団プレーの風土が根強い。
やはり三井鉱山の伝統が脈々と流れているのであろう。その体現者が故人であり園村氏なのであろう。故人・岩野氏の経歴からも伺える。北九州支店長、東京支店長、大牟田支店長と転勤で実績を積み上げてきた。東京支店長時代は非常に苦労したようだ。
岩野氏は「黙して苦労を引き受け、一切言い訳をせずに実績を上げる。リーダーたる者、己の行動で社員たちに規範を叩き込む」ことによって社員教育、すばらしい社風形成に貢献したと評価される。
岩野さん!!安心して永眠してください。
合掌
【児玉 直】
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