『親を棄てる子どもたち ―新しい「姨棄山」のかたちを求めて』の意味するところ(後)
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大さんのシニアリポート第76回
桜井政成(立命館大学政策科学部教授 副学部長・博士)は、「江戸時代以降の伝説のいくつかについては、高齢者が一軒家に集住し、互いに助け合いながら生活し、そして死を迎えたという。すなわち、今でいう『セルフヘルプグループ活動』『コーポラティブハウス』がすでに近世のムラ社会には存在していた可能性が高いのである。たとえば柳田國男の『遠野物語』には、『デンデラ野』という地域で、高齢者相互扶助システムが行われていた伝説が掲載されている」(考える犬~桜井政成研究室/ブログ)と述べている。「伝説とは、文字をもたない人たちの事実の口承」である。つまり、江戸時代以降、日本には「棄老」(姥捨て)が実在していた。棄てられた高齢者は、「座して死を待つ」ことをよしとせず、生きるために知恵を絞り、共同生活を始めたのだ。ここに「子に棄てられた親」の生き方のヒントが隠されていると思う。
実際にコーポラティブハウスの実像を「特養(特別養護老人ホーム)」や「サ高住(サービス付き高齢者住宅)」などの既存の施設に求めるのには無理がある。人気の「シェアハウス」も若い人には便利だろうが、高齢者や家族が暮らすことは不可能に近い。「そこに暮らす住民同士による理念の共有と自主的な運営」を基本とするのが「コーポラティブハウス」だと思うからだ。
たとえば、平成30年12月27日の「朝日新聞」(朝刊)には、東京都荒川区にある「コレクティブハウスかんかん森」という名前の集合住宅が紹介されている。世代も家族形態もさまざまな人たち(1歳から81歳。38人)が1つ屋根の下に暮らす。部屋はワンルームや2DKなど、29室あり、それぞれが独立。住民が共同利用できるキッチン、食堂、リビングルーム、家事コーナーなどを備えている。食事のほかに仕事も必ず1つ担当するという約束事以外は比較的自由だという。これなども現代に必要な「コーポラティブハウス」の一例といえるかもしれない。
子に棄てられた親たちは、「現代のデンデラ野」を探し求めるしかないと思っていた矢先、桜井教授から「民族学界では、『棄老』が実際にあったかどうかは疑わしい」というメールをいただき、3件の学術論文が添付されていた。そのなかの1つ、佐々木陽子(鹿児島国際大学福祉社会学部社会福祉学科教授)は、「『棄老研究』の系譜(Ⅰ)―民俗学的アプローチと文学的アプローチを中心にー」のなかで、「『棄老物語』は、前近代の極貧の食糧事情を抱えた村落共同体を舞台に、労働力としての効率性から脱落し、不要なお荷物と化す老人を、村の掟に従い棄てる物語である」と規定し、食料はこれからの労働力となる子どもたちに回すという功利主義によるものだ。「棄老」は村の延命を支えるもので、人権の全面的否定の行為でありながら、村人全員が例外なく一定の年齢になると無条件に「棄老」の対象となるという意味では、死に向けての「平等性」が担保されているという。「棄老」は村という共同体を維持するためには必要とされた『掟』だとする発想である。
佐々木氏は「文学的アプローチ」という含みはあるものの、全面的に「棄老はなかった」とは否定していない。柳田國男もそうだ。民俗学者の赤坂憲雄も『遠野物語へようこそ』で、「姥捨や棄老などと呼ばれてきた伝説の1つですが、どこか異様な雰囲気を漂わせています。その語り口が、たんなる昔話や伝説とは思われないような、奇妙なリアリティを感じさせるのです」と述べている。「全国に100ヶ所以上残されている『棄老伝説』」(桜井)のなかでも、『遠野物語』にある「デンデラ野」だけは、実存していたと考えるべきだろう。「棄老」の真偽を抜きにしても、民俗学という範疇を超えて語り伝えられているのは、遠野の持つ圧倒的な異様性(棄てられた老人たちが働きながら共同生活を送るという現代にも通じる「セルフヘルプグループ活動」「コーポラティブハウス」「高齢者相互扶助システム」)の存在を強く感じたからに他ならない。
運営する「ぐるり」を、血縁地縁関係のない人たちとの交流をとおして、「好き嫌いを抜きにして互いに干渉し合い、結果として死をも共有し合う意識」を可能にする居場所として位置づけたいと思う。そこに「セルフヘルプグループ活動」の真の姿があると思っている。
(了)
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