アダルは中国でどう戦ってきたか? 友利家具新工場設立までの歩み(前)
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業務用木工家具の製造販売などを手がける(株)アダル(本社:福岡市博多区、武野重美・会長ファウンダー、武野龍・代表取締役社長)は1953年3月に創業(イスヤ商会)。「壊れない家具」をモットーに、「斜線ホゾ」などの独自技術を駆使し、強度とデザインを兼ね備えた「はたらく家具」を世に送り出してきた。「顧客のニーズに応えつつ、絶対に納期を守る」という同社の姿勢は、顧客からの高い信頼に直結している。同社の家具づくりを支えているのが、国内の総合工場(福岡県宇美町)と中国工場。創業者の武野重美会長は、国内のバブル経済がはじけた90年以降、コストと品質の両立した大量生産を目的に、中国での生産拠点構築に奮闘してきた。日本とはビジネス習慣、国民性などが異なる中国での20数年間は、戦いの歴史だった。アダルの中国での歩みを振り返る。
社運を賭けた中国への進出(株)アダルが、中国での家具製造に本格的に乗り出したのは1996年。そのころ、日本の製造業は、バブル経済の崩壊後、モノが売れない、価格競争の時代に突入していた。商品価格を下げるためには、製造コストを抑えるしかない。「日本にしがみついていてもダメだ」。武野重美会長は90年以降、人件費が安い中国での生産に活路を見出し、新たな製造拠点づくりの機会をうかがっていた。アダルにとって、中国進出は社運を賭けた事業だった。
それ以前、上海ではなく、当時経済特区となる計画があった深圳で合弁会社の設立を進めたことがあった。武野会長自ら現地に足を運んだが、頓挫した。
その後、場所を上海に変え、現地で外注先となる工場での商品生産を試みた。現地責任者としてアダル社員を送り込んだが、商品の品質が悪く、顧客からのクレーム対応などに追われ、結果的に2,400万円程度の損失を出した。別のアダル社員も送り込んだが、「中国ではどうにもならない」とわずか1年で音を上げた。武野会長は再び、中国進出のため、上海に渡った。「俺には技術と誰にも負けないやる気がある。絶対やり通してみせる」。武野会長を突き動かしたのは、経営者としての意地だった。
独資会社でなければ利益を上げられない
日本と同じ品質の商品を生産するには、自社工場をつくる必要があったが、当時の武野会長にはどうすれば良いかノウハウがなかった。そのようなとき、日系企業のある人物から、現地パートナーとなる国営企業のSK家具を紹介される。武野会長は、SK家具との合弁会社設立を進めることにした。
その後、経営方針や資本金の出資率などについて、綿密な手順を踏みながら、上海市政府やSK家具と合意に向けたシビアな話し合いを重ねた結果、合弁会社契約調印、会社設立にこぎつけた。
同年2月、現地国営企業との合弁会社「上海愛得楽(アダル)家具有限公司」を設立。武野会長の陣頭指揮のもと、中国での家具製造をスタートさせた。武野会長の提案により、アダルが現金で60%を出資し、SK家具が残りの40%分の設備をそろえることで合意していた。ところが、工場には30年以上前の古い機械しかなく、なかには動かないものもあった。武野会長は個人資金を投入。何とか機械を補充し、工場が稼働したのは数カ月後のことだった。
家具づくりのノウハウについては、武野会長が従業員につきっきりで、材料の仕入れから商品の運搬に至るすべての工程を指導した。名人といわれる現地のベテラン職人も雇った。稼働後しばらくは、「ものづくり」ではなく、「ひとづくり」に追われた。上海出身の人間はホワイトカラー志向が強く、作業員として働きたがらない面があり、人づくりも一筋縄ではいかなかった。ただ、このとき熱心な指導を受けた社員のうち数名は、後にアダルの中国工場を支える人材に育つ。
ただ、その後も、経営方針などをめぐり合弁相手とたびたび対立。赤字を出した1年目には、「あなたは社長として失格だ。日本へ帰れ」と迫られた。従業員に対し、「武野会長のいうことは聞かなくていい」と言って、足を引っ張る中国人副社長をクビにしようとしたら、阻止された。やっと愛得楽家具で利益が出始めると、利益配分などをめぐって、不当な要求を突きつけられた。「武野会長を追い出し、会社を乗っ取りたい」という、中国経営陣の意図は明白だった。
追い討ちをかけるように、副社長による原材料横流し、SK家具が手配した従業員によるサボタージュなども発生する。よりにもよって、その副社長は日本で働いているところを「信頼できる」と武野会長自らスカウトし、中国へ連れていった人間。言わば、武野会長の身内的な存在だった。
武野会長は、合弁会社には6年ほどで見切りをつけ、アダル100%出資による新会社設立に舵を切った。アダルの独資会社「上海協栄家具有限公司(上海南翔工場)」が設立されたのは2001年11月。合弁会社解散の1カ月前のことだった。このときの苦い経験は、武野会長の記憶に強く刻まれている。
「中国で収益を上げるためには、合弁会社は絶対にダメ。独資会社でなければ可能性はない」は、今でも持論になっている。現地で関わった中国人は「日本人からカネをむしり取ること」しか考えていない人間ばかりだった。
(つづく)
【大石 恭正】法人名
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