沈香する夜~葬儀社・夜間専属員の告白(6)
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夜勤明け、テレビのワイドショーを横目にしながら朝食の準備をしていた。ワイドショーの話題は、余命宣告を受け、病院や高齢者施設の受け入れを拒まれたり、在宅療養が難しかったりする患者の「受け皿」となるべく計画された神戸市須磨区の「看取りの家」の近隣住民らが設置計画を反対しているというものだった。このような施設のことを「ホームホスピス」や「ファミリーホスピス」と呼ぶらしい。
施設の設置や建設の是非は、当該事業者と近隣住民ら当事者の問題であり、門外漢の私がとやかくいうことではないので差し控える。
これまでまったく意識していなかったが、確かにそのような施設は必要だろうと思い、少し調べてみることにした。前述のニュースの出所は神戸新聞であり、同記事中に「全国ホームホスピス協会」への取材を基に作成されたホームホスピスの数の推移グラフが掲載されていた。昨年12月現在の全国のホームホスピス数は54施設とのこと。少ない…なぜだろう。
ホームホスピスやファミリーホスピスは延命や医療が目的ではなく、あくまでも自然死に至るまでの入居施設という考えのもとに各事業者が運営している。つまり、通常のアパートやマンションと同じ集合住宅という括りになる。事業者が管理組合となるのだろう。よって行政が関わるモノではないという。
また、入居者も病院や老人ホームのような緩和ケアが付いた施設だと「タバコや酒などの嗜好品の制限を受ける」「自身の死を受け入れているのだから、最期の時を自由に過ごしたい」との思いがあり、ホームホスピスを望むそうだ。
では緩和ケアとホスピスの違いとはなんだろうか。世界保健機構(WHO)では緩和ケアの定義を当初の「治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対するケア」という表記から2002年に「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対するケア」に修正した。
なるほど「死ぬまで」から「死後まで」をも含んだケアを緩和ケアと掲げ、治療が行われるということだろう。そういえば、妻の義父、義母と看取ってきたが「延命処置はいかがなさいますか?」と病院側から尋ねられるのは、こういった事情があるからだと納得した。
当然、「兄妹が駆け付けるまで、持たせられないか」「ここまで頑張ったのだから楽にしてあげたい」と肉親の意見も様々。死は自然なことだと頭では理解していても、死別の際を迎えると感情が覚悟を鈍らせる。当事者には意識はないのだ。
また随分と話の筋が逸れてしまったが、調べを進めていくと、現実は緩和ケアを受けたくても頼るところもなくなった独居の高齢者や貧困生活を送っている方々の最後の死に場所としてホスピスがあるようだ。
では、私の住居の目の前にホームホスピスができるとなると私は受け入れるのか、反対するのか考えてみた。やはり、1人孤独のなかで死にたくない。できれば子どもらに寄り添われて逝きたい。若いころは「格好良く、孤独に死ぬことも悪くない」などとも考えていたが・・・。初老になった今は違う。他者を想いやれば、ホスピスは必要だと思う。しかし一方では、もし運営者や事業者が特殊な思想の強い団体であれば反対するだろうとも考える。
ホームホスピスを調べるなかでホームホスピス自体は必要だし、機会が有れば私自身が運営したいなどと思いをめぐらしながら夜を過ごす。(つづく)
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