2024年12月28日( 土 )

中国現地ルポ-広州・杭州・長春・北京-(8)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

長春

長春

 長春はどうして長春なのか。こんな極寒の地が「長春」と名づけられているのは、なぜか。

 謎は解けた。東北一の実績を誇る吉林大学の先生が、「それは人々の願望を表しているのです」と説明してくれた。

 11月から4月まで続く冬が終わると、ようやく春。一斉に花開いたかと思うと、すぐに涼しい夏。9月ともなればもう秋で、それも束の間。冬の寒い時は零下30度まで下がる。こんなところに、よく人が住めるものだ。

 ところが、ここに住みついている日本人の1人は、「とても住みやすい所だ」と言っている。食べ物が豊富で、すべてがおいしいのだそうだ。土壌が豊かなので、飢餓に苦しむ山東省の人々が大挙して移住してきたとも聞く。ほかの地方では食べられない生野菜が、ここでは美味しく食べられる。

 私がこの都市を訪れたのは、福岡出身の教え子が名古屋出身の物理学者と結婚してここに住んでいるからだ。今や中国の大学は海外の優秀な科学者を非常に良い条件で雇う。その一例が、この教え子の旦那である。「こんな天国みたいなところはありませんよ」と彼は言った。

北鮮酒家

 教え子が「北朝鮮」の料理店に行こうと誘ってくれた。北朝鮮からの出店で、こんな機会はめったにないと思い、迷わず行くことにした。行ってみると、見るからに豪勢な三階建て。入口にはチョゴリ姿の若い女性がいて二階まで案内してくれ、二階には別の女性がいて、ショーが見れる席をとってくれる。そういうわけで、北朝鮮の歌舞団のショーを見ながらの食事となった。

 三階のテーブルは舞台の正面、これ以上ない席である。教え子によれば、「北朝鮮からの留学生のバイトなので、歌舞はあまり期待できない」とのことだった。しかし、北朝鮮の国旗が至るところに張られ、金日成の肖像があちこちに見えるだけで、いうに言われぬ興奮が私を襲う。特別な任務で平壌にきているような気分になったのだ。

 料理は予想を超えて薄味だった。韓国の味に慣れている者には物足りないほどである。その時思ったものだ、「ひょっとしてこれが朝鮮の宮廷料理ではあるまいか」と。もしかすると、北朝鮮は今でも王朝国家なのだろう。

 というのも、ふと思い出したのだ。ある日本人の韓国文学の専門家が漏らした言葉である。「北朝鮮が日本帝国から学んだのは天皇制です。戦前の日本人の天皇崇拝と、今の北朝鮮の金一族への崇拝は、非常によく似ている」

 料理も歌舞も今1つ物足りなかった。店の雰囲気も穏やかすぎて、「民族の激情」のかけらもなかった。すべてを「抑えている」のか、それともこれが実情なのか。北国の静けさが店全体を覆っていた。

 長春といえば、かつての満州国の首都・新京。当然ながら、満州国時代の遺物があるはずで、吉林大学の日本文学の先生にそのことを尋ねてみた。するとその先生、何の感慨も見せずに「長春駅前に建造物がいくつか残ってますよ」と言った。

 行ってみると、駅から少し離れたところに現在は「長春鉄路分局」と名のつく建物があった。これがかつての「満鉄新京支社」だ。当時の建物は外面はそのまま残り、内部は改装されて今も使われている。

大和旅館

 駅前には旧「大和旅館」、現在は「春誼賓館」と名のつくホテルがあった。これも立派な石づくりで、私たちがイメージする「旅館」とはほど遠い。少し歩くと、かつて「新京銀座」と呼ばれた旧繁華街。そこを歩くと一瞬タイムスリップして、当時の日本人になった気分になる。

 「長春郵政局」と書かれた石づくりの建造物があった。「郵」の字が簡体字になっていないので、いやでも満州国時代が蘇ってくる。中に入ると、普通の郵便局。歴史を尊重して建物を残し、内装を替えて現在も使用する。そこに、日本では感じ得ない「時」の重みが感じられた。

新京銀座
長春郵政局

 考えてもみれば、日本列島から遠く離れたこの土地に、よくもこんな近代都市を建設しようとしたものだ。「日本建築はしっかりできているから使っているのだ」という土地の人の説明があるが、それだけではあるまい。「中国は、歴史によって中国なのだ」というパリ国立東洋語学校の先生の言葉が今さらに思い出される。建造物によって歴史の記憶を刻みつつ、新中国の存在をそこに注ぎ込んでいる。

 余談になるが、私の父方の叔父は日中戦争のさなか満鉄調査部に務め、満州国の国情調査をしていた。あちこち転々としたが、この長春で敗戦を迎えたと聞く。叔父はもともと左翼思想の持ち主だった。それゆえ日本では就職できず、満州に送られた。満鉄時代も憲兵につかまり、業務停止処分を受けたという。

 そういう人間だから、敗戦後はすぐに帰国せず中国に残った。新中国に何らかの貢献をしようと思ったのだろう。帰国後はマルクス経済学者として大学で教鞭を執った。「新生中国」には大いに期待したにちがいない。

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

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