2024年12月23日( 月 )

窮地のライジングゼファー~救世主現れるも今後も多難(3)

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ライジングゼファーフクオカ(株)

苦難と背中合わせの歴史

 ライジングゼファーフクオカの運営会社設立は、2007年5月だが、遡ると2005年6月に創設された福岡レッドファルコンズがゼファーのルーツだ。
福岡レッドファルコンズは、新潟アルビレックスの当時のJBLスーパーリーグ脱退にともない、福岡県内の地場企業数社が中心となって地域密着型クラブチームとして設立した(2005~06シーズンのJBLスーパーリーグに参戦)。

 しかし、母体企業の経営不振、さらには地元スポンサーの獲得が難航した。その影響で、選手およびスタッフの給与未払いや2,000万円の使途不明金も発覚し、経営不安が表面化、当時の社長の自殺未遂にまでトラブルが広がった。2006年に入るとスーパーリーグ後半戦への不参加を表明し、 JBL(バスケットボール日本リーグ機構)脱退の意向を示した。結果的にスーパーリーグは14戦全敗の戦績であった。「運営会社の球団経営はずさんで、使途不明金約2,000万円は、一部関係者が個人的に流用していたという。それ以前に資金計画など事業の運営自体がでたらめで、使途不明金が発覚したときは、すでに8,000万円の債務超過に陥っていた」(当時を知る関係者)という。その後、福岡レッドファルコンズは解散した。

 06年に入って新たに福岡BBボーイズなるクラブチームが設立され、その年の国体に出場して優勝した。一方で、プロフェッショナルとしての活動は、ほとんどなかった。06年11月に当時のプロリーグ戦であった日本プロバスケットボールリーグ(通称:bjリーグ)へ福岡市のチームとして2007~08シーズンへの参戦が決まった。そのための運営会社が、07年5月に設立されたのが福岡プロバスケットボールクラブ(株)で、現在の運営会社は同社の流れを組む。

 2007~08からbjリーグに参戦し、2015~16シーズンまでの間、リーグ戦での戦績は相応の成果を上げ健闘し続けた(2012~13シーズンはリーグ準優勝)。しかし、球団の経営マネジメントは残念ながら毎期迷走を続けた。最大の原因は、毎期ごとに球団のかじ取り役が変わり、さらに誰が責任者であるのかも不明瞭な状況だったことだ。選手がプロ化したのに対して、フロント陣の未熟さは誰もが認めるところだった。

 2016~17のシーズンからは、bjリーグとNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)が統合され発足したBリーグが舞台となった。以前より国際バスケットボール連盟(FIBA)から「トップリーグは1国1リーグが望ましい」との要望を受けて、日本バスケットボール協会(JBA)が2010年より統合へ両リーグの間に入って調整を続けていた。しかし、純粋なプロフェッショナルリーグであるbjリーグと、企業スポーツ型に固執するNBLとの歩み寄りは難航し、FIBAから日本のナショナルチームの国際試合出場禁止など会員資格を停止され、2016年リオ五輪の女子代表の出場権を賭けた試合に出場が危ぶまれるなどの事態に陥った。こうした危機を脱するため、日本サッカー界の重鎮・川淵三郎氏を招いて再建を託し、日本のバスケットボール界の危機を回避させると同時に、前記したリーグの統合を実現させた。

 話を戻すと、ゼファーの16~17シーズンはBリーグでは最も下のレベルであるB3リーグからのスタートとなった。適正な球団経営がなされるか未知数であったため、B3からの参戦となったのだ。オーナーおよび経営陣を一新し、もともと充実していた選手層のためにB3での闘いは圧倒した。B2に昇格した2017~18シーズンも健闘し、B1への昇格を決めた。

 そのシーズン途中の18年3月に神田氏が球団社長に就任した。「B1昇格へ向けてのより高いマネジメントをつくり上げていくために、プロスポーツ経営を知る神田氏に白羽の矢が立った」(ゼファー関係者)とされた。2シーズンという短期間でB1に昇格したことは、すばらしいことであった。しかし、球団運営の基盤がつくられている段階での急激な躍進ぶりは、やや拙速感があったことも否めなかった。そして、2018~19シーズンは残念ながらまたもや、球団運営において迷走する歴史が繰り返されたのだ。

(つづく)

【河原 清明】

<COMPANY INFORMATION>
代 表:神田康範
所在地:福岡市博多区比恵町16-26
設 立:2007年5月
資本金:4,800万円
TEL:092-409-4887
URL:https://r-zephyr.com

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